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ライフワークとしての学びを考えます。

いま「海」の作品を演奏すること

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海にまつわる作品を演奏するときに、やはり少し立ち止まって考えてしまう自分がいます。
 
中田喜直作曲の合唱組曲「海の構図」。
特に、最終曲「神話の巨人」は荒れ狂う海を描いており、「海がのたうちまわっていた」という津波を彷彿とさせる詩が随所にみられます。
 
5月13日に浜離宮朝日ホールにて、合唱団コール・リバティストは「海の構図」を演奏します。昨年の4月には、まったく偶然であったのですが「水のいのち」という作品も演奏しています。
 
前回の稽古にいらしてくださった秋島先生がおっしゃったことに共感しました。
 
「こういう時節ですから”海”というとすべてがあの3月11日に結びついてしまうのもよく(演奏する立場として)分かります。どのように解釈しても、そういうところを通らざる得ない。」
 
「40年前の作品で、今回の津波とは関係ないところで作られているわけだけれど、素晴らしい音楽とか作品というものは、時代を乗り越えてくる。
作曲家がどう思って作ったかというところからは離れて、私たちがどう感じていくかということを見つめなおしたい。」
 
「作品は、作曲家と詩人の子供のようなもの。どう育てていくかは私たちに託されている。歌う人が”海について歌ったらあのことを思うだろう”と思って歌えば、聴く人も”そうだろうな”と思って聴くわけです。演奏は”こうしなくてはいけない”というのでもない。それぞれが感じるいろいろな演奏の仕方、聴き方があってよいのだと思う。そうすることで作品からいろいろなものが立ち上ってきて、内的に高まってくるのではないかと思う。」
 
天才の生み出した素晴らしい作品を演奏できる喜びも大きく、しかし一方で、何か心の中に重たいものが沈殿しているような状態です。
 
「きけ わだつみのこえ」の中にある魂の叫びのような手記に接すると、今自分が生かされているのだということが痛いほど感じられます。
 
 
そして、同じように、津波で命を失ったたくさんの方々のことを思います。
もしかしたら自分であったかもしれない。
この方々の尊い命があって今の自分がある。
深い感謝しかありません。
 
なぜ自分がここにあるのか。
必ず何か理由があり、使命があるのだと考えます。
そのような気持ちを込めて演奏したいと思っています。

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