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ライフワークとしての学びを考えます。

才能があることでの苦しみ そうでないことの辛抱

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「才能ある人ほど演奏会で失敗も多いのよね」
 
師匠がよく話していたことです。
 
才気にあふれていると、無意識の領域から強烈なイマジネーションがわきでて、コントロール出来なくなることがあります。
そういう人は安全運転をしないことが多く、危険な箇所でも思い切りアクセルを踏んでしまう。
そして、ものすごい集中に入り、没頭してくると、あるときふと頭が「ホワイトアウト」することがあるのです。
 
その瞬間プツリと集中が途切れるか、または最悪の場合、記憶が飛んで暗譜が分からなくなってしまうという怖いケースを多く見てきました。
 
そのような演奏は、次に何がくるのか予測がつかないので、聴いていて大変面白いのですが、危険や失敗も多いのです。
 
例えば、天才と言われるアルゼンチンのピアニスト、キャンセル魔のマルタ・アルゲリッチは、演奏してくれたとしても興が乗らなかったり、調子が出ないときもあり、彼女としては残念な結果になることもあるのです。
そのぐらい、ぎりぎりまで自分を追い込んでいる。
 
逆に、どんな場合でも確実に良い演奏をする方もいます。
先が予想がつき、安心して聴いていられる。
退屈な演奏の場合もありますが、それで終わらずにこの先を極める人もいます。
 
愚直に努力をし、人生を積み重ねることで音楽に深みが生まれてくる。
 
同じ南米でチリ出身のピアニスト、クラウディオ・アラウ(1903~1991)などはそのタイプでしょう。
 
アラウの若い頃の演奏は少し退屈になってしまうこともありますが、年齢を重ねてからの演奏は、燻し銀のような渋さと深みが加わり、「噛めば噛むほど味がでる演奏」。まさに大器晩成型大巨匠の音楽です。
 
天才タイプではないのですが、これもまた素晴らしい芸術家だと思います。
 
才能あふれることでの苦しみもあれば、またそうではないことで辛抱しなければならないこともあります。
 
そしてまた、努力し続けることも本物の才能ではないかと思えます。

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