卑怯を未練に生き残りその後ろめたさを抱いて生きている
2012年が始まった。
また新しい命をいただいた。
有難い。
なぜ、自分が音楽をやってきたのか。
なぜ、ここに自分がいるのか。
自分は何者なのか。
必ず意味がある。すべて起こることには意味がある。
仕事において、生きることにおいて、思想を持って歩んでいきたい。
そのために、
どんなに激しい風がふこうと動かぬ心。
決して揺らぐことのない志。
いつかはその境地に立ってみたい。
2000年1月1日、日本経済新聞に掲載された、「私の履歴書」より元ダイエー会長中内功さんの記事を引用させていただきます。
・・・・・(以下引用)・・・・・
思えば私はひたすら仕事に生きてきた。執念の鬼のように、流通という仕事を追い続けてきた。そのことに今、私なりに大きな誇りを持っている。
この執念の原点は、戦争の体験にある。五十五年前、日本は太平洋戦争に負けた。私はフィリピンの北部の山中で、大日本帝国陸軍・比島派遣軍の軍曹として敗戦の日を迎えた。自分の目の前で多くの戦友が死ぬのを見た。「突撃」の一言で勇敢な人ほど死んでいった。自分は卑怯未練で生き残った。そのことへの後ろめたさを心に抱いて、今も生きている。
・・・・・(以上引用)・・・・・
「卑怯未練で生き残った。そのことへの後ろめたさを心に抱いて、今も生きている」
なんということばでしょうか。
この記事を読んだときの衝撃はいまだに忘れられません。
日本に流通革命を起こした中内さんの執念は、この戦争体験で得た死生観から始まっているのです。
モーツァルトも、ベートーヴェンも、シューベルトも、ショパンも、シューマンも、バルトークも・・・その死生観の極みにおいて、人の心を奥底から揺さぶるような作品を書いています。
仕事において、思想において、そのような不動心を身につけることができるのか。
自分の中にここまでの覚悟があるかといったら・・・まだない。
しかし、あのまさに未曾有の大震災の後、死をさらに身近に感じるようになりました。
今日が人生最後の日だったらどうするか。
自分の心を奥深く見つめることを続けていきたいと思っています。
一日を一瞬を大事に生きること。
それを丁寧に積み重ねていきたい。
そう思います。