死生観の深き淵において見るものとは
<散り急ぐ桜を仰ぎ思いゐき若葉の芽吹き我にこそあれ>
現在、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病と闘う、元おそばやさん経営の岸徹さん(73歳)が詠んだものです。新緑のエネルギーが自分にも欲しいという感慨がこめられています。
12月11日日本経済新聞「社会人」に掲載されていた記事をご紹介します。
岸さんは1999年にALSと診断され、現在も闘病中です。
宣告されたとき「現在では治療法がありません。身辺の整理をしてください。早ければ数年後、死かそれに近い状態になる」と言われました。
ALSは日々衰えてゆく自らの身体の機能と向き合う宿命にあるのです。
「俺は死ぬんだ。・・・人に当たる。物に当たる。ずいぶんと荒れ狂いました。」と手記に書きました。
(以上記事より)
今はほぼ寝たきりとなり、一日一首、また闘病記などもホームページ「桜台通信」に書き続けています。
岸さんの短歌は、死を宣告され、辛い闘病生活を送っておられる方とは思えないほどの明るさに満ちています。とぼけた味わいが絶妙で、読んでいて思わずクスッと笑ってしまうこともしばしば。奥様の明るさにも助けられているのかもしれません。
しかし、岸さんの文章から感じられるのは「生」への凄まじいエネルギー。
一日一日を慈しみながら、大事な家族と、明るく、軽やかに生きていらっしゃる。
と同時に、常に死を見据えた者の覚悟が伝わってくる。
人間というものはすごいと思います。
死を宣告され、短い時間でここまでの精神の成熟を遂げられている。突き抜けられておられる。
身体は自由を失ったとしても、その心は軽快なステップを踏み、周りの人たちを幸せにしているのです。
死の病から生還した方が、なぜかとても明るいことが多いのです。
それは、一度極限の世界においてぎりぎりの姿を見つめられ、生きることの意味を深く問うてこられたからなのでしょう。
もし明日死ぬと分かったら今日一日をどう生きるか。
あと30日の命だと宣告されたらそれまでの一日一日をどのように生きるか。
今においてベストを尽くし、懸命に生きるのではないでしょうか。
自分は何をすべきなのか、自分にとって何が大事なのか、真剣に考えるのではないでしょうか。
平均寿命を考えると、まだまだ先だと思われるかもしれません。
しかし、人間はいつかは必ず死ぬのです。それがいつ訪れるかは誰もわからないのです。
だから、今生きているだけで有難い。
毎日をおろそかに生きていないか?
見つめ直してみたいと思います。