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薄幸な運命が天才を開花させる

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真の天才とはなぜここまで薄幸な運命なのだろうか。まるで天から宿命づけられているかのように。
 
ジャクリーヌ・デュ・プレ(1945~1987)。
16歳でデビューし、天才の名をほしいままにしたスターでもあった女流チェリストは、難病、多発性硬化症を発病し、わずか10年あまりの演奏活動に終止符を打ちます。
チェロという朋友を手放し、車椅子生活を送り、ときには絶望の叫び声をあげることもあったといいます。リハビリの甲斐もなく42歳という短い生涯を閉じました。
 
私が、最初にデュ・プレの演奏を聴いたときの衝撃は今でも忘れられません。
 
ドヴォルザークのチェロ協奏曲。
 
圧倒的な出だし。気合とともにハッシと弓を弦に当てた音。美しいとか綺麗とか、そういうものをはるかに超越した魂の叫びが聴こえてきます。
チェロは朗々と歌い、ときには唸り声をあげ、生々しい人間の感情をことごく表現しきったその演奏に、私は引きずり回されてしまいました。
聴き終わったあと、その後の運命を予感させるような演奏に、涙が止まりませんでした。
 
指揮は、結婚したばかりで当時夫でもあったバレンボイムとの共演ですが、デュ・プレは心底バレンボイムに惚れてたんだろうなと思いました。よく分かります。バレンボイムを信じ、安心しきって演奏しているのが良い影響をもたらし、ノリにノッている。燃えている。命に火をくべるように、猛烈に弾ききっている。そんなデュ・プレが、私は大好きで、また可愛いくてしかたがありません。
  
結婚後数年でデュ・プレは発病。バレンボイムとの短い結婚生活はあっけなく終わりを告げ、彼はすぐに新しい女性と家庭を築くのです。
夫婦の間には、私たちの想像では理解できない二人しか分からないようなこともあるかもしれません。デュ・プレと最後までいてほしかった、いや、せめて看取ってほしかった、と思うのは私の身勝手な願いであるのでしょう。
 
それでは、今日は、ジャクリーヌ・デュ・プレの演奏で、ドヴォルザークのチェロ協奏曲より、第一楽章を聴いていただくことにいたしましょうか。
 
3:30に、あふれんばかりの情熱を持ったチェロが現れると空気は一変します。思いのたけを封じ込めたような分厚い音色。音の無い間合いにおける息をのむような緊張感。完全にデュ・プレの世界です。
 
ドヴォルサークは、ボヘミア出身の作曲家。アメリカでニューヨークナショナル音楽院の学長を2年半務めたときは、ボヘミアへの望郷の思いが湧き上がってきておさえられなかったそうです。
 
その万感の思いを込めたのが、5:42からの第二主題の旋律。
それを、デュ・プレは、しみじみと、深く、朗々としたカンタービレで、また、ときには泣いているかのように表現しています。私はいつもこのメロディが現れると、永遠に続いてほしいとまで思えてくるのです。
 
7:57から8:15にかけての聴き所、オーケストラに引き渡すまでの爆発的なパッションも、マイクから彼女の息使いが聴こえてきて、心を打たれずにはいられません。
 
それでは、ジャクリーヌ・デュ・プレのチェロ、どうぞお楽しみください。

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