オルタナティブ・ブログ > 大人の成長研究所 >

ライフワークとしての学びを考えます。

相撲と演奏は立会いできまる

»

相撲の仕切りや立会いを見ていると、力士によってそれぞれ特徴はありますが、共通するのは気合を充実させ、呼吸を合わせ、精神を高めているところです。
そして、心がピタリと定まり、きちんと両手をついて立つ立会いには、美しささえ感じます。
 
勝負のあとインタビューで「立会いがよかった」「立会いが悪かった」と力士のみなさんが口を揃えて言うのをよく聞きます。それほど立会いというのは大事なものなのでしょう。
 
これを見ていると、演奏の出だしと似ているように思います。
 
仕切りがうまくいって、横綱同士がガシッと組むときがありますが、良い演奏とはこれと同じように感じることがあります。
出だしが良いと、その後も良い内容になることが多いのです。
 
ただ、仕切りがうまく行かないとなかなか立てないということもあります。
 
最近の本番であったことなのですが、舞台の椅子が、何かの手違いでリハーサルで用意しているはずの椅子と違っていました。
ブログでも書いたのですが、椅子の微妙な高さは演奏に影響します。
 
リハーサルのときに高さを調節してあったはずなのですが、これが全く違う高さに設定されていました。さらに、使用する椅子がベンチ椅子と言って、両脇のハンドルを回して高さを変えなくてはならないタイプのものだったので、設定に少し時間がかかってしまったのです。
椅子の高さをやっと整えて、さあ弾き始めようと思ったとき、ふと、何か違うな、と感じてしまいました。
楽器まで歩いていくときにすでに自分自身の「仕切り」が始まっていて、その流れで弾き始めようとしていたリズムとズレが出てしまったようです。
 
そういうときは、慌てると地獄を見ます。数秒間、心を定める時間が必要でした。
 
ただ、作品によっては、そういう時間さえもとりたくない場合の出だしもあります。
 
ロシアのピアニスト、スビャトスラフ・リヒテルの場合、ベートーヴェンのソナタ32番は、「椅子に座るやすぐに弾き始めなくてはだめだ。気でも狂ったかのようにね!」(「リヒテルは語る」)と言っています。
逆に、リストのロ短調ソタナの場合は、椅子に座ってゆっくり30数える。そして、聴衆が「一体どうしたんだろう?」という空気になったったんおもむろに、最初の「ソ」の音を弾くのだそうです。
 
リヒテルの場合、もしかしたら多少の演出もあったかもしれませんが、これほどまでに演奏家は「出だし」にこだわるものなのですね。
 
講演においても、同じように出だしは考えます。
宝石のように凝縮された時間であるようにしたいですね。
 

Comment(2)