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ライフワークとしての学びを考えます。

死と戯れる そして絶望の先にある生

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悪魔に魂を預けたような目つきでサイコロに興じる人達。張り詰めた緊張感。そして異様に暗く圧迫されるような画面。
画家、鴨居玲の作品「静止した刻」を初めて見たときの衝撃は忘れられません。

鴨居玲。いつか皆さんに紹介しなければならないと思っていました。

鴨居さんは、この作品で具象画家の登竜門、安井賞受賞。画壇にデビューしました。才能にあふれ、前途洋々に見えた画家人生。
しかし多くの画廊は、「鴨居の絵は売れない」「こんな暗い作品は買い手がつかない」と言ってなかなか取り扱わなかったのです。
ただ、鴨井さんの絵は少数の熱烈なファン、人生の酸いも甘いも噛み分けた人達には人気があり、クラブのママさんや定食屋さんのご主人、会社の社長さんなど、少しずつ売れ始めるようになって いました。

鴨居さんは、いかにも売れるような絵を描かなかった画家です。プロであれば、お客さんに喜んでいただけることが喜びでもあり、自分の主張はしなが らも、多少なりとも人気が出るように、売れるようにする絵を描くことはできたはずです。

なぜそうしなかったのか。

それは絵が鴨井さんそのものであり、絵こそが鴨井さんの真実だったからです。

絵には、いつも鴨居さんそっくりの男性が描かれており、人生に絶望し、呆けたような虚しい表情を浮かべてたたずんでいます。

強烈なのは「勲章」。
いくつもの勲章をつけた男性の胸元をよく見ると、勲章に見えたものはビールビンの栓なのです。

絵が売れようとも、世の中から評価されようとも、それは虚構。
鴨居さんにとって絵が売れようが売れまいがどうでもよかったことなのかもしれません。

鴨居さんの絵に明るい作品はほとんどありません。暗いというより重苦しく暗鬱な画面で、見ていると魂が心の闇に引きずり込まれてしまいそうになっ てしまいます。
しかし、大変不思議なことなのですが、そこからは何か力強い生命を感じることができます。

あるとき、撮影のため鴨居さんの絵を明るいライトで照らしたことがあったそうです。そうすると、その暗い背景から赤い色が透けて浮かび上がってくる。

下塗りで背景全体に燃えるような真っ赤な色を塗り、その上に重厚で暗い色調の絵を描いていました。
鴨居さんの絵は背景こそがポイント。暗く見えた画面の背景に、実はものすごい生へのエネルギーがみなぎっていたのではないかと私は感じます。

鴨井さんは「これから死ぬから」と友人に言いふらし、自殺未遂や狂言自殺を繰り返していました。
体調が悪いと言って真っ青な顔で杖をつきながら病院に通っていたのですが、「お元気そのものでしたよ」と主治医は語っています。

鴨居さんは、死にとりつかれ、常に死と戯れていたのです。
ある日、「死ぬから」と言って電話をかけ、そのまま本当になくなってしまいます。
彼をよく知り病院に担ぎ込んだ友人は「最初は”またか”と思った。鴨居は本当に死ぬ気などなかった。間違って死んでしまったんだ」と語っています。

鴨居さんの創作方法は、アトリエにこもり、残酷なほど自分自身を見つめることから始まります。己のエゴと闘い、そこから得た霊感が絵という形となる。それは、心身を極限まですり減らすような作業だったのではないかと想像します。

私は、鴨居さんの人生を知ったとき、作曲家シューマンのことを考えてしまいまいました。
シューマンもまた、創作の狂気にとりつかれてしまった芸術家。ライン川に身を投げて自殺未遂、精神病院への入院など、最後は自己を救い難いほどに崩壊させてしまいました。晩年の作品からは痛々しいほどその状態が伝わってきます。(シューマンの病に関しては後日様々な説が出ています)

私たちの魂を震撼させ、死生観まで変えてしまうような芸術家の素晴らしい仕事は、無から有を生み出す苦しみ、正気と狂気の狭間で生きる彼らの覚悟 から生まれているのではないでしょうか。

鴨居さんの絵を知り、あらためてその思いを強くしています。

(2011年7月3日、7月17日の日本経済新聞記事「鴨居玲の分身たち」より参照させていただきました)

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