ピアノの指は鍵盤から決して離してはいけない
人類最高のプリマとも言われるソプラのマリア・カラスが、ベルカント唱法について興味深いことを言っています。
「ベルカントという用語は文字通り『美しい歌』という意味ですが、それはとても誤解を招きやすい訳です。ベルカントは音楽のもっとも効率的な訓練法なのであり、(この場合美しいという意味は当てはまらない)歌い手はそれによってオペラ音楽の複雑さに対処し、その複雑さを通じて人間の感情を深く表現するのです。この唱法は、とてつもないブレス・コントロール、声の均一性、澄んだ音の流れを生み出す能力、それに装飾音も必要とします。」(S・ガラトプーロス「マリア・カラス聖なる怪物」)
ピアノという楽器の一番の難しさは何かといえば、レガート(音をなめらかにつなげる)ではないかと思います。
もし、ピアノがあったら鍵盤を押してみてください。その音は持続しません。弾いた直後から音は減衰し始めます。
人の声や弦楽器、管楽器と違い、音が減衰し、途切れてしまうピアノは、旋律をつなげることが不得意な楽器なのです。
人は音楽の何で感動するか?
私は歌ではないかと思っています。
歌こそ最もエモーショナルな音楽といえましょう。
このピアノをいかに歌っているように弾くか、というのが最大の問題なのであります。
ピアノの鍵盤をひとたび押したならば、その音がいかにも次の音へ増えていくように聴かせることができるかどうか。物理的には全く無理だとしてもです。
そのためには、ペダル(音を響かせるための足元にあるレバー)を駆使したり、手首や腕を柔軟に使う方法を学ばなければなりません。
私は、自分のイメージするレガートができるようになるまで、かなりの年数がかかったと思います。
以前、イギリス人のピアニストに習いにいったとき、何度も言われたのが「絶対に指を鍵盤から離すな」。
彼の先生は、レッスン室の壁に「絶対に指を離すな!」と書いた紙を貼っていたほどだそうです。(外国の人も注意書きを壁に貼ったりするのですね。)
最初は、できるだけペダルの補助なしにレガートを身につけること。
これは、鍵盤から指をパタパタとタイプライターを打つように離していては実現しません。指を離さずに、次の鍵盤へ重みを移動する。そのときに手首や肘、腕の使い方を覚えていきます。
指だけのレガートをマスターしたあと、ペダルを用いて「いかにも音が増幅しているように聴こえさせる」技を身につけます。
演奏の差が歴然と出てくるのがこの、レガートであり、ベルカントなのではないかと思います。
まるで歌っているかのようにピアノを演奏する、ベルカントな弾き方こそ、感動的なピアノ演奏だと確信しています。