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ライフワークとしての学びを考えます。

「この場から消え去りたい」 インスピレーションはどこから来るのか

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いつも本番前、演奏会でもプレゼンでも、この場から消え去りたいと思うほどの状態になっています。
 
そんな自分をなだめすかしながら本番の舞台に持っていく。その作業が思い通りにいくかどうかでその日の結果が決まる、とまで思っています。
 
だから、当日ともなると技術や内容より、自分との折り合いをつけることの方が大事になってきます。これは何度やっても慣れることはありません。「ぜんぜんそう見えない」とよく言われるのですが、実は情けないくらい毎回そうなってしまいます。
 
自分と折り合いをつけるといっても、いつもと同じようにすること。
例えば靴を左足から履くとか、近所のカフェでカプチーノを頼むとか、だれもいない部屋のピアノに「お先にいってきます」と言ってみたり。
他愛ないことなのですが、一つ一つ行うことでスイッチが入っていくような気がします。ある時期まで気のせいかもしれないと思っていました。
 
しかし、小澤征爾さんが舞台ソデで木製のものをさわってから舞台に上がるとか、イチロー選手が奥さまのカレーを食べるとか、羽生さんが将棋会館のそばで必ず同じサンドイッチを食べるとか聞いた時に、彼らは超一流の人たちなのですが、とてもよく分かるような気がしました。一種の儀式のようでもあります。
 
私は今までたった2回だけ不思議な感覚になったことがあります。
演奏しているのに弾いているのは自分ではないようで、力も入れないのに思うとおりにすべて自然に音楽が流れていく。そして、未だに忘れないのですが、なぜか、その弾いている自分を上からもう一人の自分が見ているのです。
 
それはごく簡単に訪れたように思えました。
「ああ、やっと分かった。次からこれで行けばいいんだ」と考えました。
 
しかしそうではありませんでした。
これは、毎回同じように一生懸命努力しただけでは絶対に訪れないものだということが分かりました。
あの「完成されてしまった」かのような無常の感覚。
何かが広大な無意識の中で起こったのではないかと思っています。
 
それから次が怖くなりました。やめてしまいたいとさえ思うことがあります。
特にリハーサルで調子よく行ってしまうと、かえって怖くなります。「良きもの」は一晩に何度も降りてこないからです。
 
いつも同じようにはいかないし、それどころか失敗もあります。
しかし、この場から消え去りたいと思いながらも、インスピレーションを祈るような気持ちで待つ自分がいるのです。

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