音楽とは楽しむものなのか? 真剣勝負のピアノ
「音楽って楽しむものでしょう?」
正しいと思います。
私が考える、現在最高のピアニストの一人、ポーランド出身、クリスティアン・ツィメルマン(1956年~)。
「ツィ王」とも呼ばれるそのピアノは、一切の妥協がなく、聴くごとにさらなる高みに達しており他の追随を許しません。
私は、彼の演奏会に行って「ア~、楽しかった。」ということなど一度もありませんでした。
音の全てに神経を研ぎ澄して放たれる響き。
集中力という言葉が浅く感じられるほど、ピアノ一台で一つの宇宙を作り上げています。
楽器は、作品や演奏するホールに合わせて一台一台自らが用意し、聴衆の前で弾く曲は全て10年以上かけて準備するという完璧主義者。
真剣勝負のピアノ。
例えば、ジャズの要素満載のガーシュウィンでさえ、一部の人には「真面目すぎる」と評されますが、彼の手にかかると至高の芸術となるのです。
ライブ演奏で聴いた「3つのプレリュード」などは、ジャズピアニストならば大抵はアレンジを加えるであろう箇所も、ほぼテキスト通り。
ガッチリとしたバスの響かせ方は、ドイツ的とも思えるほど。最終曲の追い込みも、テクニックが厳しいのでテンポを緩めてしまうピアニストも多いのですが、さらにテンポを上げて弾き切る気合は見事でした。
一般的には、お家芸であるショパンが高く評価されていますが、私はそれ以外のベートーヴェンやラヴェルに、彼の「こだわる性分」がよく表れていると感じています。
構築性と音に対する作りこみが半端ではなく、グイグイと剛速球を投げ込んでくるベートーヴェンなど、覚悟なしに聴いているとはね飛ばされそうになります。聴いていて一瞬たりとも気が休まる時間がないほどです。
彼の真剣勝負は、聴いた直後はぐったりと疲れますが、しかししばらくすると前よりもさらに元気になっている自分がいます。
そして彼は、演奏においてほとんど奇抜なことをしません。伝統的に語りつくされたものからしか音楽にしてこない。一見当たり前のことをやっているように見える。
しかし、それらはなぜか新しい知恵に満ちているように思えます。
なぜか?
芸術家としての格ではないでしょうか。
そして、音楽といえども最後は人間力なのだと思います。
日本において、青信号の短さの危険性をわざわざ区役所に指摘したツィメルマン。
「何か重要なことを目の当たりにしながら何も行動を起こさないというのは本当に愚かなことだと思います。自分の国であるか否かは関係ありません。」
そんなことを言う音楽家がどこにいるでしょうか。
これからも聴衆に媚びずにさらなる孤高を極めてくれることでしょう。
現在1年間の充電期間中のツィメルマン。充電があけて次にはどんな音楽を聴かせてくれるのか。楽しみでもあります。