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ライフワークとしての学びを考えます。

男性のセンチメンタル

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私が今まで演奏してきた全ての作品はほとんどが男性の作曲家でした。
 
特に苦労したのが、ブラームスの晩年の小品集。
最後まで一人を貫いたブラームスが、自分の日記をそっと見せてくれているような音楽なのです。
 
一見、音楽自体もセンチメンタルに感じられるのですが、私が思っているセンチメンタルとは違いました。「男の情念」とでもいうのでしょうか。それがなかなか分かりませんでした。
 
深読みしすぎてもうこれ以上読めないところまでいった後、あたかも深読みしていないように音楽の雰囲気をそのまま出していく。
どんな弱音においても腰の据わっている音。
そして、ここぞというところのストレートな感情の爆発。
一度爆発したら、手加減せずに持っていくエネルギー。 
センチメンタリズムを表現するときに、あれこれと手練手管を用いると、音楽の造形が浅くなってしまうことがあるのです。
 
女性の演奏家が男性の作品を演奏するときの難しいところでもあり、面白いところでもあります。
 
 
北原白秋の詩、山田耕筰作曲の「曼珠沙華」という曲があります。
 
山田耕筰の最高傑作。
まるで奈落の底を覗き込むような凄みがあり、名人の演奏ともなると妖刀村正のような切れ味を味わうことができます。
 
詩人も作曲家も男性。
しかし、詩の内容は、子供を亡くして発狂した母親がヒガンバナを摘みにくるという、能の「隅田川」のような凄絶な光景を描いた歌という説もあるほど女性的な歌なのです。
 
こういう曲こそ、女性の気持ちを感情的に表現するのではなく、男性的に表現することが作品本来の力を引き出すのではないかと私は考えます。

「曼珠沙華」は、カウンターテナーの米良良一さんの名演もありますが、これは女性の情念をよくここまで理解しているという、逆の意味で凄い演奏です。
 
個人的には、日本人ソプラノ、鮫島有美子さんの演奏も素晴らしいと思います。
伴奏者のヘルムート・ドイチュと共に、作品の本来持っているものを素直に、しかも覚悟と気迫を持って表現していて、かえって深い情念を感じさせてくれます。
 
本日は、鮫島由美子さんの演奏で「曼珠沙華」を聴いていただくことにいたしましょう。

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