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ライフワークとしての学びを考えます。

きれいであってはならない 上手くあってはならない 速くしてはいけない

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ベートーヴェンを聴くと、その演奏家の本当の実力が分かる。
そんな風にいわれることがあります。
それはベートーヴェンの音楽が、外面的なこととは殆ど無縁の真の内容主義の芸術であることから一理あると思っています。
 
もう一人濃い内容主義の作曲家をあげるとしたら、ドイツの作曲家ブラームスかもしれません。
本格的にブラームスの作品と向かい合ったのは、音楽大学を卒業してからでした。
リストという華やかな作曲家にのめりこんでいた私に、師匠はブラームスの作品を勉強するよう言いました。
 
「音楽はね、もっと深いものがある」
 
ブラームスは、ピアニストとしての才能もあったので、彼のピアノ作品は技術的な難曲が多いのが特徴です。懸命に技術をクリアしたつもりでした。
 
先生は、燻したような色合いになっている銀製の置物を持ってきました。一見地味ですが何か重厚な佇まいを感じます。
「ブラームスはこれです」。
そして、向こうにある華やかなクリスタルガラスの花瓶を指差して、「もし比較するとしたら、あれはリストね」
 
ブラームスを華やかに演奏してはいけない。
もし、楽に技術がマスターできていたとしても「楽そうに弾いてはいけない」のです。
音が跳躍していて、いかに弾きにくくても「楽そうに弾くこと」がベストだと思っていた自分。
音の内容を考えたら、音が跳躍していればエネルギーがいる。ブラームスは音と音の幅にまでも意味を求めました。
技巧をみせびらかしてサラサラと弾きのけてはブラームスにはならないのです。
楽譜に、「アレグロ (速く)」とあっても、次には「マ ノン トロッポ(しかし過度ではなく)」とつくことが多いのもブラームスらしいと思います。
音と音の間にある重みを感じれば、絶対に速くは弾けないはず。
弾きにくいところは、わざと弾きにくく書いている意味があるのです。「えっちらおっちら」と無骨に弾く重厚な音楽。一見不器用にゴツゴツと訴えかけてくる、重くて心の底にズシンとくるような響き。
まさにドイツ。「オラがドイツ」なのです。
 
しかし演奏した後、こんなに心が温かいもので満たされたような気持ちになったのは初めてでした。
 
華やかな技術で聴衆を圧倒し、ヨーロッパよりもアメリカで人気のあった、ルービンシュタインは、70歳過ぎたころから晩年90歳頃にかけて著しい深みをみせるようになりました。華やかだったタッチに抑制を効かせて、ベートーヴェンやブラームスを演奏した90歳近くの録音はルービンシュタイン生涯最高の名演奏だと思っています。
 
だから、素晴らしい演奏会のあと、「いつかこの人のベートーヴェンやブラームスを聴いてみたい」。ついついそう思ってしまうのです。
 
「きれいであってはならない、上手くあってはならない、心地よくあってはならない。ほんとうの美とは、きれいとか、うまいとか、心地よいなどとは反対のものなのです」
 
岡本太郎さんの言葉をいつも思い出すようにしています。

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