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ライフワークとしての音楽を考えていきます

素質なんて関係ない なくたって気にしなくていいんだよ

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世の中には、「初めてなんです」と言いながら、何年もやっている人を一気に追い抜いてしまう人がたまにいます。
 
例えば、歌で言うと「持ち声」のある人。
 
アマチュアの合唱団でも、「やったことないんです」と自信なさそうに来ていた初心者に、ちょっと指導をしてあげると、ものすごい良い声を出すことがあります。
 
これこそ「持ち声」というものです。
 
持ち声のある人の声というのは、コツコツ努力している人が木っ端微塵に吹き飛んでしまうほど。ああ、この人は神から特別なものを与えられたのだな、という気がするのです。
 
そういう人は「素質がある」といわれます
 
しかし、人類最高のテノール歌手とも言われているルチアーノ・パヴァロッティ。
三大テノールの一人として日本でも有名になりました。
 
パヴァロッティは有名になる前、声楽の道を諦めて、教師になろうか、それとも保険の外交員になろうか悩みながらレッスンに通い続けていたといいます。
彼の周囲には、それこそ努力知らずの持ち声のある歌手であふれていたことでしょう。
しかし、名教師アッリーゴ・ポーラのもとで何年もの歳月を重ね、やっと自分の発声法を体得したのです。
 
私が最初に習いにいった声楽家の先生は持ち声のある人でした。
私が出来ないときに「何故こんな簡単なこともできないのかしら?」とおっしゃいます。
自分がすぐに出来てしまったので、「出来ない人を出来るようにするやり方」が分からないのです。
 
あるとき、思い切って先生を変えました。
その人は、言います。
 
「歌はなんだかんだ言ってやっぱり声だよ。でも人を感動させるかっていうとちょっと違う。声のある人は、それだけで勝負してしまうから。
自分は持ち声がなかったので、かなりやり方を工夫した。
今の教え方は全てそこからきている。」
 
「出来ないものを、ちょっとずつ上げていく過程で、重みというか、説得力がうまれてくるのだと思う。
最初からサラサラ歌える人はそれが分からない。
素質が邪魔するってことがある。」
 
そういうとき、素質とはなんだろう、本当の才能とはなんだろう、とふと思います。
 
最初に生まれ持っているものが違うということなのか?
 
この頃そんなことではないような気がしてきています。

Comment(4)

コメント

永井さん、こんにちは。
わたしが社会人になりたての頃、大事にしていた言葉があります。
「才能は持って生まれたものだけど、センスは磨けば光るものだ」
これは、作詞家の松本隆さんがラジオでしゃべっていたものです。
芸大出身でもない自分が、広告や編集の世界に飛び込み、作っても作っても満足できる広告や記事ができなかったとき、この言葉でどれだけ救われたことか。
永井さんのお話を読んでいて、駆け出しだった頃のことをふと思い出しました。

僕のけいかんから、うると。
もともと才能、素質があって、それないりに90〜100点とれるひと。
なんとかいろいろと教えてもらって70〜80とれる人。
なにをどやっても、30点までしかできない人。
そして、才能があって、努力や訓練で120点とれるひと。
せいぜい10点しかとれないけど、環境が変わったとたん150点をとるひと。
と、いろいろだと思います。
人には、向き不向き、得手、不得手があり、またやりたいコトとできるコト、やらなきゃいけないコトが必ず一致することもかぎりません。だから、まず自分が好きなトコで頑張ってみればいいのかナ??と思います。ピッタリあった環境に出会えれば、それはそれは、素敵な世界が広がることと思います。
(^ω^)ノシ

中村さん
「何かを上手にやりました」「私ってすごいでしょう」というのはやっぱり心が動かないんですよね。広告や編集の方の仕事で何に感動するって、もう、「何とかして自分の思いを伝えたい」と思う、その心意気です。「作っても作っても満足できない」ほどの、その気持ちが伝わったとき感動するのだと思います。
コメントありがとうございました。

かぅんとさん
コメントありがとうございます。好きなこと見つけるのって大事ですね。時間がかかってもあわてずに見つけてみたいですね。

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