「なんでわたしがコピーしなきゃいけないの?」
ある合唱団の指導者と話していたところ、
「この頃の人はコピーがちゃんと出来ないんだよ」
と言っていました。
部数が間違っていたり、譜面のページがずれていたり、さらには抜けていたり、上下逆さになっているまま、ホッチキスで綴じてしまったものを何十人と渡されてしまうこともあるそうです。
知り合いの外資系ビジネスパーソンの話しだと、最近は職位が上の人でも「コピーは自分でする」のだそうです。
「私が新入社員のときは、一日中コピーをしていたこともあります。きれいにコピーするワザもそのとき覚えました。今思えばそういうことも勉強だったと思いますね。」
確かにその人のコピーは、小さいものは程よく拡大したり、色の薄いものは濃い目に調整したり、紙の節約と綴じやすさを考えて両面コピーにしたりと、本当に細かいところに気遣いがあり、美しさを感じます。
日本の芸術には、古くから師弟関係というものがあります。
いわゆる、弟子入りすると、孫のお守りや庭掃除などをやらされる、というイメージです。
実際にそういうことはないそうですが、どんなつまらない仕事でも一生懸命やる人を見て、巨匠はその人の本気度をみたのだそうです。
私の知り合いで、表千家の師範をなさっている経営者の方がいます。
その方は、最初は妹さんが通っているお茶会の手伝いに呼ばれて行っているだけだったそうです。
でも、玄関の履物を「こうしたら客人が履きやすいのではないか」と並べたり、茶会の前の庭掃除も、「全ての落ち葉を掃いてしまうのではなく、少し残しておけば美しいのではないか」など一生懸命考えて手伝っているうちに、師匠から「面白い子ね」と言われて、弟子入りさせてもらうことになったそうです。
たかが履物を並べるだけ。
たかが庭の掃き掃除をするだけ。
単調でつまらない仕事ですね。
でも、それを創意工夫をもって一生懸命自分から進んでやれる人。
茶人としても、経営者としても成功して世に出ているその方を見ると、「与えられし仕事を一心不乱に行じる」という行いが全ての道に通じるのだな、と思わずにはいられません。