音のない瞬間、行間からたちのぼるニュアンス、無言の演技にこそ真の表現がある
音楽には音のない瞬間というのがあります。
それは、楽譜の上では「休符」という記号で表されているのですが、その瞬間こそ大切なことが表現されているのです。
それを究極におしすすめた例は、ジョン・ケージが1952年に作曲した、有名な「4分33秒」という作品。
曲が始まってから終るまでの4分33秒間、演奏者(ピアニスト)は全く音を出しません。
音楽にはそういった作品もあるのです。
2011年3月27日、合唱団コール・リバティストで、マエストロをお招きしての稽古を行いました。
高田三郎作曲の「水のいのち」という合唱のための組曲は、豊かな感情表現が必要です
この組曲の第2曲「水たまり」の中で、人間の泥のごとき浅はかさを表現し、そして苦しみながら「わたしたちにも いのちは ないか・・・!」と問うところがあります。
「・・・!」部分の休符に、深い無念さをこめなければなりません。
それを、どのように表現するか。
「松の廊下」を引き合いにだしての説明がありました。
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、吉良上野介(きらこうずのすけ)に「田舎者め」と言われ、刀を抜いて斬りつける場面があります。
時代劇の中で、刀を抜く前の浅野内匠頭は「くっ、くっ、くっ・・・!」と感情が昂ぶります。
そしてついに爆発する。
そのボルテージが上がるまでの時間が、音楽の中では休符として書かれています。
この休符は、単に身体が休んでいるわけではありません。
そのあとの爆発に向けての時間。
その間を表現することが、演奏なのです。
ただし最近は、あまり感情を表現するのは善しとされないせいか、なかなかそういったところまで出来ないようです。「そこまでやらなくても」とクールなのですね。
ただ、クラッシック音楽の場合、それをやりすぎてしまうと薄べったい感じになってしまいます。
この頃は「ザッハリッヒ」と言って、即物的に演奏するスタイルが主流なので、世界的に人気のある演奏家でさえもそういう傾向になっています。
ただ、ちょっと昔の巨匠たちは、そういった感情のほとばしりを持っている人たちがたくさんいました。
役者で言うなら、萬屋錦之介だそうです。
セリフのない無言の演技から凄い気合を感じますね。
文章に力のある作家の作品を読むと、行間からたちのぼるニュアンスに感動してしまうことさえあります。
それと同じことだと思います。
高田三郎の行間に対する命のかけかたは、かのベートーヴェンと同レベルだと感じました。
ぜひとも、音のない瞬間でホールを満たしてみたいですね。