授業をする側の達成感について考える
半年ほど前、友人と飲みながら話したときのこと。
彼は企業を早期退職して大学に入り直し、小学校の教員になったばかり。その彼が「授業が上手くできたときの達成感」について熱く語ってくれました。
そのとき私は「え、授業の達成感?」と、ちょっと面食らいました。
私にとって授業は、終わった後に「あの説明は分かりにくかったな」「もっと工夫できたのに」と反省会を実施するもの。仮に「上手くできた」としても、拍手喝采のカーテンコールを期待するようなものではありません。
もちろん学生が新しい興味を持ったり、できなかったことができるようになったりすれば、うれしいし、達成感もあります。でも、それは「学生ができるようになった」ことへの達成感であって、「自分の授業が上手かった」ことへの達成感ではない。だから、友人の言葉が妙にひっかかっていたのです。
そんなことを考えていた矢先に「ITパスポートは取ったけど、基本情報はどう勉強すればいいんでしょう?」という学生からの相談があり、勢いで、夏休み特別企画として、基本情報技術者試験の対策講座をやることになりました。
ゼミ生の有志に加えて、2年生の希望者まで巻き込んでの集中講座。文系学生が苦手とする計算問題やアルゴリズムをテーマに、問題を解いて解説するスタイルで進めました。
ところが、みんなの進みが早い。こちらは慌てて追加問題を用意する羽目になり、そのうちの一問、アルゴリズムの問題の解説で「想定外のこと」が起こってしまいました。答えが分かった後も、プログラムを追いかけ、「このケースでは、どのような結果になるのか」他の選択肢も試していたのですが、最後の一つが考えていたものと合いません。
どこかに、勘違い、ミスがあるはずです。でも、急遽用意した問題、準備不足で原因が分かりません。慌てる私。冷や汗たらたら。
こういうとき、授業の上手な先生ならスマートに切り抜けるのでしょうが、私はアドリブが苦手。「みんなで考えよう!」と開き直りました。
「ここじゃないですか」と意見を出してもらい、「いや、違うな」と検証しながら、「あ、そもそも通らないケースですよね」と、間違いの原因にたどり着けました。教室に流れる納得の空気と一体感。
そして、私は学生たちにこう伝えました。
「試験のときは、緊張していて、今の私のように、分かる問題も上手く解けないことがあります。慌ててパニックにならず、落ち着いて取り組めば、今みたいに、ちゃんと解けます。みなさんなら大丈夫ですよ。」
授業としては予定通り進まなかったので、成功とは言いがたいのかもしれません。
けれども学生たちは、知識を深め、思考を鍛え、「想定外」を乗り越える体験になったはずです。
下手っぴな授業の言い訳かも知れませんが。「学生と一緒に迷って、発見にたどり着いた」こんな達成感の味わい方もあるのかなと、少しだけ思っています。