ソーシャルメディアは、日本の「空気」が生み出すダークサイドを、変えることができるか?
「空気」というものは、日本独特で、なかなか英語に訳すことはできません。
敢えて言うと、atmosphere (雰囲気)が、比較的近い言葉かもしれません。しかし日本の「空気」が個人の行動を制約する強制力を持つのに対し、個人主義の欧米人にとってatmosphereは強制力を持っていません。
この不思議な「空気」について、5年前に当ブログで「日本における『空気』の功罪」というエントリーを書きました。一部引用します。
---(以下、引用)---
...(「空気」には)いい面と悪い面があると思います。
いい面ですが、ある程度の時間をかけて全体で「コンセンサス」という「空気」が出来上がり、一方向にベクトルがセットされて突き進むと、恐らく日本は多くの分野で世界最強なのではないでしょうか?
古くは富国強兵。1960年代から80年代は高度経済成長。いずれも見事に国全体のベクトルが合わさりました。
(中略)
一方の悪い面ですが、この「空気」が作るベクトルが不合理な方向に進むと壮絶な破局をもたらします。中華事変から太平洋戦争までに至る道がまさにその例だと思います。
(中略)
また「空気に合わない」モノを村八分にしたり、つるし上げたりする傾向も「空気」が支配するダークサイドだと思います。...
---(以上、引用)---
また、3年前に「極めて危険な、空気読み過ぎ+思考停止する日本」というエントリーも書きました。
---(以下、引用)---
....(太平洋戦争当時の)軍部では、論理ではなくその場の空気でモノゴトが決まっていきました。
そして世間では、戦争に向かう社会全体の空気に逆らう人に対して、当時は「KY」ならぬ「非国民」というレッテルを貼りました。
(中略)
論理が排除され、思考停止状態になり、空気でモノゴトが決まっていく日本。
これ、極めて危険です。
(中略)
一旦、日本全体が空気だけでモノゴトが決まってしまうモードになると、論理的な議論が極めて難しくなります。
そうなる前に、思考停止状態に陥りかけている社会に対して、私達一人一人が自分の頭で考え、本来何をすべきなのかを問いかけていく必要があります。
---(以上、引用)---
今回の大震災では、日本で様々な新しい空気が生まれつつあります。
「自分の利益は後回し。お互いに助け合おう」という空気。
これは、とても大切にしたいですね。
「被災地に配慮して、華やかなことは自粛しよう」という空気。
「お互いに助け合おう」という空気から派生したものです。
確かに被災地復興を妨げる活動は止めるべきですが、過度な自粛は日本全体の経済活動そのものを萎縮させます。そして、経済活動萎縮の先にあるのは、企業倒産や労働者解雇。
私は個人的には、佐々木俊尚さんの「不謹慎ディナー宣言」がとても好きです。非難の嵐が来ているそうですが、かく言う私も、震災後は、いつもよりも食事に行く回数を意図的に増やしています。
「ありとあらゆるものは、節電すべし」という空気。
確かに大規模停電は避けるべきですし、夏に向けて節電癖を付ける必要があります。
しかし最大供給量を需要が上回らなければ大規模停電は避けられるので、、電力需要が少ない時間帯(例えば真夜中)には、無理に電気を使わないようにする必要は、必ずしもないかもしれません。
一方で3.11以降、ソーシャルメディアの空気に対する影響力は、格段に増した、と実感しています。
確かに、ソーシャルメディアは、風評の発生元になるという負の面もありました。石油製油所の火災で「有害物質が雨と一緒に降るので注意」というデマもその一つ。
しかしインフルエンサーによるソーシャルメディア上の冷静な意見は、震災後のパニックを押さえるのにあたって、大きく貢献していると思います。
空気は、水を差されると消える、という性質があります。その水とは、非常に影響力が強い冷静な意見だったりします。
今後、日本における空気のダークサイドを押さえるためには、ソーシャルメディアで情報発信するインフルエンサーやアルファブロガーによる冷静な意見は、とても大きな役割を持つのではないかと思います。