「もっと仕事をすればよかった」という経営者はいなかった、という話
昨日(2/25)の日本経済新聞の第一面特集『働くニホン それぞれの報酬 「何のために」終わらぬ問い』で、心に残る言葉がありました。
ベンチャー企業を興したある若手経営者が、米ハーバード大ビジネス・スクールに留学した時の話です。
---(以下、引用)---
………そこでたたき込まれたのは最新の経営手法だけではない。こんな講義が印象に残る。
死の床にある経営者たちに人生を振り返ってもらった。すると「もっと仕事をすればよかった」という人はいない。誰もが「家族や自分のため時間を使いたかった」と話す――。どんなに成功しても自分なりの「働く意味」を見いだせなければ幸せになれない。そう教え込まれた。
---(以上、引用)---
この話は、「自分の人生は何なのか?」という人間の生き方そのものに対して、大きな問いを突きつけます。
言うまでもなく、仕事は人生の時間の中で非常に大きな割合を占めます。
1年間は、合計8,760時間。
睡眠時間が6時間半として、約2,400時間。
睡眠時間を除外した残りは6,360時間
230日働き、1日12時間を仕事と通勤で使うとして、2,760時間。
これを平均的なビジネスマンとすると、起きている時間のうち実に43%を仕事に使うことになります。
逆に言えば、57%の3,600時間は仕事以外のことに使っている、とも言えます。これも貴重な時間です。
中にはスーパー仕事人間な方もいるでしょう。
上記に追加して月150時間の残業をしたとして、仕事で4,560時間。
この場合、起きている時間の72%を仕事で使います。逆に言えば、28%の1,800時間は他の事に使っている、とも言えます。
仕事が人生の大きな割合を占めることが改めて分かると、それが自分にとってどのような意味があるのか、我々は考えざるを得ません。またそれ以外の時間をどのように使うかも、重要なテーマです。
一方で、以前このブログのエントリーでも書きましたように、大病により21歳の若さで世を去らざるを得なかった詩人・矢澤宰は、死の直前の最後の日記で、以下のように語っています。
私の命の真の目的は何であったか。生きることである。……
自分の人生の目的とは何だろう?
この終わりのない問いを、それぞれ全く違った状況にある私達自身で問い続けること自体が、私達の人生そのものなのかもしれません。