「20代は転職厳禁」という意見・その2
先日、『「20代は転職厳禁」という意見』というエントリーを書きましたが、その後、ブログやソーシャルブックマーク、その他で色々とコメントをいただいたり、高橋さんや吉田さんにTBをいただきました。
実はこのエントリーを書いた後、色々と考えるところがあり、その問題意識と高橋さんのエントリーが一致していたので、この機会にまとめてみました。
先のエントリーでも引用させていただいたヘッドハンターの古田英明さんは、「20代は転職厳禁 捨て駒になるな」という記事で、
----(以下、引用)---
最初から天職に出合うなんてあり得ない。それなら出合った仕事を天職にできるかどうか。やれるところまで思い切りやってみようということ。
(中略)
結論はやっぱり、目の前のことを一生懸命やる以外に、何も開かれることはないということ。それ以外はすべて逃げだから。
----(以上、引用)---
と書かれています。
古田さんがおっしゃるように、今の職場で頑張った方が、次々と転職してゼロリセットで仕事をするよりも、成長できる可能性は高いと思いますし、私の先のエントリーもその趣旨で書かせていただきました。
一方で、「ウェブ進化論」で梅田望夫さんは以下のように述べています。
---(以下、引用)---
でもこんなメールのやり取りをしたあとに、実は、考え込んでしまったのである。
私が渡米したのは三四歳のとき。このメールを書いたのが四四歳の時。「四四歳の私」が「三四歳だった私」から相談を受けたら、どんな回答をしただろうかと悩んでしまったのである。ひょっとして「お前がやろうとしていることは、危なっかしくて見ていられない」と答えたのではあるまいかと。
(中略)
三四歳のとき、もっとモノをよく知っていて、もっと客観的で、それゆえ「もう少し力をつけてからでも遅くない....」なんて考えて、冒険しなかったとしたら、ぞっとする。モノが見えていなくて良かった。今、心からそう思うのだ。
たしかに「四四歳の私」は、十年前「三四歳だった私」に比べて、圧倒的にモノが見えている。いろいろな経験を積んだ。たくさんの人を見てきた。でもモノが見えている分だけ、新しいこと、未経験なことについて、ネガティブに判断するようになっていないだろうか。これを「老い」と言うのではないのか。
---(以上)---
確かに梅田望夫さんがおっしゃるように、「モノが見えていない」、言い換えると「自分の想いだけで、可能性にかけられる」ことは、ある意味、若さの特権だと思います。
「今の場所で一生懸命頑張りましょう」と書く私の場合は、梅田望夫さんが言うところの「老い」なのかもしれません。
その意味で、高橋さんがおっしゃるように、
「20代でも転職を考えてみたらどうだろう」
という意見も確かに納得できますし、
「自分のキャリアは100%自分の責任。一生下っ端かもしれないし、逆に転職によってチャンスをつかみ大きく成長するかも(可能性は低いでしょうが)」
というのもまた、事実です。
結局、自己責任でどう考えるか、ということではないでしょうか?
ただ自己責任で決定する前に、一つだけ考えてみていただきたいことがあります。
会社の内情は、外部からはよく分かりません。従って、入社する前から、会社の内情を知ろうとしても、なかなか難しいものです。
また会社の内情は、実は会社に入った後もよく分からないものです。会社というのは案外とスケールや懐が深いもので、様々な顔を持っていますし、また、会社の性格や社会的評価も数年程度のタイムスケールで変わってきます。
新卒で会社に入り、2-3年後に「この会社は自分に合わない」と考えても、実はそれは会社のごく一部だけを見て判断したことなのかもしれず、結論付けるには時期尚早かもしれません。
そのことを考慮した上での判断であれば、あとは高橋さんもおっしゃるように、自己責任で納得して進めていけばよいのではないでしょうか?
どちらにしても、自分のキャリアに100%責任を持っているのは、他ならぬ自分なのですから。