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グローバルIT時代にクリエイターはいかに対応するべきか?を考えます

アンドレアス・グルスキー写真展のレビュー 〜想像とちょっと違ったので、いろいろ考えなおしてみた〜【読了目安: 5分】

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当エントリーをご覧いただきありがとうございます。

フォトグラファーの御園生大地です。


ちょっと前のお話なのですが、国立新美術館で行われている、アンドレアス・グルスキーの写真展に行ってきました。


まずはアンドレアス・グルスキーとはどんな写真家か?について、3つのポイントに絞ってお話します。


ポイント1 「現時点で、歴史上最も高値で写真が売れた写真家である」

その額なんと430万ドル(約3億3300万円)!

1枚の写真が、です。(2012年のクリスティーズでの落札価格)

絵画と比べると、写真は複製が比較的容易ですので、これはとても凄いことであると思います。


ポイント2 「社会のグローバル化をテーマとした被写体を、引いた視点から撮影。遠景ながら画面の中に小さく写っている人や物のそれぞれの違いまで認識できる圧倒的な画質が特徴。」

グローバル化によって均質化された世界の中で、ひとりひとりは同じような存在ながら、よく目を凝らせば同時に全く同じではない。そんなメッセージが画面から感じられる、と言えるかもしれません。


ポイント3 「写真家でありながら、画像処理をしていることを公言している。新しいタイプの"写真家"である。」

衛星写真(←もちろんグルスキーによる撮影ではない)をレタッチでつなげた南極の俯瞰写真、なんて作品もあります。

それをグルスキーの作品として展示しています。

これを写真家の作品としちゃっていいのか?なんて違和感を感じる方もいらっしゃるかもしれません。

通常の作品でも、何枚かの写真を合成したり、不要な建物や人を消したりという作業を行っているそうです。



私にとって、この写真展は「どうしても行かなくてはならないもの」でした。

なぜか?

それは、

ポイント2の「社会のグローバル化をテーマとした被写体を、引いた視点から撮影。遠景ながら画面の中に小さく写っている人や物のそれぞれの違いまで認識できる圧倒的な画質」

という特徴があったからなのです。

ポイント2の特徴は、印刷物やwebでは実感として体験することが難しいです。

画面の中に小さく写っている人の違いまでは、印刷物やwebではなかなか見えないからです。

実際にオリジナルの写真の前で、細かい部分の違いが見える状態で、同時に全体像を目にした時にどんな印象を受けるか。

どうしてもオリジナルの大きさの実際のプリントの前に立って体験する必要があったわけです。



あらかじめ上記の3つのポイントを知っていた私は、初めてオリジナルプリントを見るにあたって、「これはすごいことになりそうだぞ」と、期待が膨らんでおりました。


昨今の広告写真の解像度は、デジタル化の恩恵で上昇し続けています。

駅貼りのポスターに、実物大以上に印刷された顔のアップの写真を、まじまじと近寄ってご覧になったことはありますでしょうか。

ご覧になられたことのある方は、肌のうぶ毛の一本一本まで解像した写真の、画質の凄さに驚いた経験がきっとおありじゃないかと思います。

でも、そういった写真だって3億円はしない訳です。3億の写真って…どれだけ凄いんだろう?

しかも、グルスキーが「表現のためなら合成処理も辞さない作家である」ということは、"理論上は"どんなに高画質の画像も作り出せるということになります。

分割撮影した写真をつなぎ合わせていけば、手間を掛ければ掛けるほど無限に画素数をアップできるからです。

しかし、一つの作品に無限に時間と手間を投下するのは現実的ではありません。

「恐らく、細部を見ると昨今の広告写真のような、現実を超えたクッキリ感のある感じで、引きで見るとその大集合がパワーとなって訴えかけてくる感じなんだろうな。」

そんな風に予想していました。

正直、「画質的なことに関しては見なくてもある程度予想がつくな」くらいに考えていた自分もいたかもしれません。


しかしながら!

私の予想は外れました。

「細部まで現実以上のクッキリ感で描写されている写真」は、展示作品の中では少数で、ほとんどの写真はそこまでの画質はありませんでした。

どうやら、事前の期待(妄想(?))が膨らみすぎたようで、そこまでの画質はなかったかも、というのが正直な感想でした。


最初は少し混乱して、期待通りの画質のある写真を探しまわったりしてしまいました。(何枚かは発見できました。)

しかし、途中から「写真作品を見るって、そういうことじゃないだろ」と思って、冷静さを取り戻すことに努めました。

少しずつ、落ち着いてきて考えなおしてみる過程で、いろいろ自分の中の価値観がアップデートされていくのを感じました。


その上での結論としましては、グルスキーの写真は、大きいものは長辺が3.5m程もあり、駅貼りポスターより全然大きい(B0ポスターで長辺1.45m)ので、「なんだ、駅貼りポスターの方が画質が上じゃないか」とまでは、ならないと思いました。

冷静になれば、十分すごい画質であることには変わりない。

(私の事前の妄想が膨らみすぎただけなのでしょう。)

グルスキーの作るイメージは、現代ならではの被写体を、現代ならではの手法で捉え、その化学反応により現代の空気を見事に捉えていると感じます。

勝手に想像すると、フォックスコンの工場とか撮ったら面白そうだなあ。(許可が出ないかもですが…)

私個人的には、完全に好きなタイプの写真家であると思いました。

実は私は「引き気味の視点で、現代の空気感を捉えた写真家」というジャンルはかなり高確率で好物です。(笑)



今回の体験を通して、私は「直接自分の目で見て体験する」ことの大切さを改めて実感しました。

見てみて、想像と違ってて全然OK。そこからがスタートライン。

そこで自分の中の情報をアップデートする作業をきちんと行うことで、自分の価値観と現実とのズレを修正していく。


昔は何もわからなかったので、毎日勉強する過程で常にそういう作業は行なってきたはずなのですが、いつのまにかある程度予想がつくようになって、わかったような気になっちゃって、こういう作業をやらなくなっていたのかもしれません。

そのうち私もベテランになって、ある程度物事の予想がつくようになればなるほど、こういった行程を「億劫がらずに」「意識して」行なうことが必要だなと思いました。

年齢を重ねてくると、自分より若い世代のムーブメントを直接体験しないままに、「あー、要は昔のアレとおんなじだな」なんてカテゴリー分けして安心したくなっちゃったりしますが、それではいけない。


特に最近は、理解不能な現象に対峙した時、「Gunosy」「NEVERまとめ」「BROGOS」「オルタナブログ」などを一周して、ひと通り自分のアタマで消化して、

「うん、OK。この件に関してはわかった!他のことに時間を使おう」

な〜んてなりがちな自分へ。


こういったサイトから素晴らしい思考をもらっている事に感謝しつつも、

「それで本当にわかったのか?」「妄想が膨らみすぎて現実と違うものになってないか?」っていう視点を忘れないように!

自分への警告の意味を込めて、この文章を残しておこうと思いました。

(世界中の人がまとめサイトで理解するばかりになったら、「みんな一緒にわかったような気になってるけど、世界世論が全然ピントはずれな感じに突っ走っちゃう」とかなっちゃいそう…)


いろいろな意味で、「予想通りじゃない」って、面白いな。

そこで混乱しない自分になれたら、もっといいかもしれないな(笑)。




月1回。1日に更新予定。 「グローバルIT時代のフォトグラファー

(次回は、10月1日のam6:00にアップ予定です。)

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