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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

まあいいや、で良いのか?

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ワールドカップサッカーで、ポーランド戦で最後の10分、ボール回しに徹したことについて、賛否両論の意見が交わされている。もちろん決勝に残ることが、実際に参加しているプロ選手たちの評価にもつながるわけだし、ひょっとしてセネガルがこの間に得点する可能性すらあったことからすれば、ある意味功利的にリスクを取ったということだろう

だが、何となく心地よくないのは、いつもフェアプレーという評価を受けてきたし、それが日本という国の世界に示せるプライド、ということがあるからではないか?この間、米国のゴルフにおいて最も有名で評価されている選手の一人が、同じくルールで認められているからということで、敢えて動いているボールを打ってよりスコアが悪くなるのを避けようとしたということで批判を浴びた。その後謝罪をしたようである。もちろんこのゴルファーの積極的行為と、攻撃しないというのは異なるとは思うが、スポーツのフェアプレー精神をいうことに鑑みると、仮に結果として負けても一所懸命に攻撃する姿を見たかった。

再三にわたるが、わが国の現政権に対する支持率がまた上がりつつあるようだ。一応世界の中でもそこそとのプレゼンスは示しているように見えるし、株価は上がっているので、経済運営もそこそこ出来ているように見える。一方で、モリカケ問題はあるが、もはやどうなるものでもないし、野党は反対するだけで、何も具体的な成果がない。だとすれば、現政権はそれなりにやっているし、代わりもいないのだから、まあ良いのではないか?というのが実態だろう。

だが、敢えて指摘したいのは、民主主義の社会にあって、政府の責務は憲法によって与えられた付託に基づき、国民の権利を守り更に国民に対してより良い社会を実現する政策を進めることであるということだ。一国におもねて、国際社会における我が国に対する信頼を引き下げることでも、将来における国民の社会福祉や健康保険への不安を増幅することでも、そして貧富の格差を助長することでもない。ましてや、広島、長崎の悲劇を忘れて、再び紛争に関わる可能性を高め、或いはそれに加担して武器を輸出することでもない。

確かに代わりはいない、また誰がやっても同じにしか見えない状況ではあると思うが、どうも私には日本という国に与えられた時間はあまり多くない気がする。政治と行政は任しておいて、とにかく自分のこと、仕事を一生懸命やって、その中で矜持を保ち続ければ良いということではないように感じるのは私だけだろうか?

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