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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

これからの時代

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先週末南三陸へ行ってきました。震災後、地元の方々が瓦礫やゴミなどを活用し、循環型の社会を創る試みをしておられるところを拝見し、お話を聞いてきました。

廃棄物からエネルギーを生みだし、液肥を作り、これを農地に適用し、森林を整備し、廃材からペレットを作り、これを暖房などに活用する。また、森が元気になることで、丁度湾になっている漁場も豊かになる、そんな試みです。ただ、大事なのは仕組みを作ることだけではなく、これを継続できるように住民が意識を持つこと、そして協力し合うこと。まだ、道半ばなのだろうと思いますが、元々震災の時もお互いに助け合った地域のコミュニティが更に強化されているように感じました。

もちろん、地域のつながりは時として煩わしいもの、でももし東京で同じことが起きれば、きっと行政にしか頼れないし、行政が対応するまでに亡くなる方も出るように感じます。東日本大震災の直接の被災地ではなかった東京ですら、物はなくなり帰宅難民が大量に出たのですから。そう考えると、空恐ろしいものがあります。戦後工業化を進める中で、一極集中が進み、就職列車で多くの若者が都市部に集まり、その結果として高度成長を成し遂げた、そのことを根底から否定するつもりはありませんが、いつも言われるように結果として核家族化が進み、地域の人のつながりがなくなってしまったことは、我が国の社会・文化にとって決して良いことではないのでは、と感じるのです。

時計の針を戻すのは難しいと思いますが、技術の進歩は引き続き追求するとしても、それにだけ依存しない人間が支え合う社会をどう作っていくか、地域を俯瞰的に見て部分最適ではなく全体最適を求める、そんな視点が必要だと改めて感じました。そして、そのような南三陸においても、海岸線は東日本大震災の津波すら防げない高さのコンクリートの護岸で固められ、景観は失われ、結果として滋養に富んだ森からの栄養も湾内には届かず、海は弱っていく可能性がある、そして復興資金の相当な部分がこのようなある意味での無駄に費やされているのを目の当たりにし、この試みが社会の変革につながるまでに気の遠くなるような時間がかかることを予感させます。

自分だけ、自分の家族だけを大事にし、人を押しのけて突き進まざるを得ない現代の産業社会、生きていくのは確かに大変ではありますが、今一度ちょっとだけ深呼吸をして、回りを見渡して、回りに優しくなれる、そんな時間を持てるようにしたいと感じています。

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