政治の劣化2
二日続けてブログの予定だったが、何故かWi-Fiが機能しなかったので、一日遅れで。
政治の劣化の異なる例としては、昨今マスコミを賑わしている防衛大臣や特命担当大臣。これらに共通しているのは、いずれも自らの外部や内部での会議などにおける発言などについて、その後の説明が二転、三転すること。
これはやはり政治主導の流れの中で、ある意味で合目的的に物事が決まっていって、そこに至るきちんとした政策論議がなく、無理をして、或いは場合によって忖度して、進めようとすることが根本の原因ではないか?
それが、これまでは強い物には巻かれろ的な形で進んできたところ、さすがにこれ以上自分たちは責任を負えませんよ、大臣!といったところではないだろうか?
とても不思議なのは、そもそも様々な組織が議事録的なメモを残しているが、これが公式文書となっていないところ。仮にも国民の税金をどう使うか、或いは人の生命にかかる判断をする、という状態であるとすれば、責任ある判断を確保するためにも、きちんとした記録が必要ではないか?
民間企業は、コンプライアンスとか内部統制などというある意味で過重な規制もあり、自らを守るためもあって、かなり厳しく記録を取り、これを残すようにしている。私企業ですらそうだとすれば、国民に責任を負う公的な機関である政府は全ての会議、面談の議事録の作成を義務付け、原則として、全て必要に応じて、或いは一定期間後に開示するものとすべきだ。
もっと言えば、共謀罪法案が通過したが、守るべきは国であり、国は内閣や行政ではなく、国民そのものだから、内閣や行政が国民国家に対する相応しくない謀議を行ったら、そもそも国会議員であっても、行政職員であっても、内閣の一員であっても、同罪の適用があるべきだろう。このようなことを監視する仕組みが必要だ。
これらを考えると、政府の議事録の作成、管理は、行政とか国会とは離れ、国民を代表する第三者機関を設立して行うこととすれば良いのでは、とも思う。もちろんこれらは極論であり、膨大な行政コストがかかるものではあるが、今の我が国の現状は、そのくらい政府を含めた政治が信頼できず、このような状況が子供たちに毎日テレビなどで知らされることによる、国民の劣化につがなるということを是非理解してほしい。