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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

やっぱりファッショ?

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共謀罪が衆議院法務委員会を通過した。これでこの法案が成立するのはほぼ確実だと思うが、どうもすっきりしない。確かにテロ対策は重要だ。だが、だからと言って国家の捜査権が最低限の必要以上に拡大するのは、そもそも立憲政治、民主主義、自由主義の大幅な後退であり、極めて慎重に検討すべきものだ。

それがそもそも戦前戦後の様々な不幸な経験や、不当捜査、冤罪などに対する知識すら全くない国会議員の30時間の審議で結論を出してよいのか?どうも昨今の重要法律審議は、拙速の印象がぬぐえない。少し以前の話だが、世界でも稀なおかしな会社法が制定されたのも、意味不明な債権法改正が審議対象になっているのも同様。ましてや、人権にかかわる刑法の審議となれば、もっと時間をかけて議論すべきだと考える。

従来は、法制審議会という仕組みが、かなり改正について深く関与し、専門家による十分な議論を踏まえて法案が時間をかけて作成されていたという記憶がある。だが、法制審議会の機能が劣化したのか、政治が力を増したのか、どうも最近は何でも政治主導。確かに、あまりに慎重な故に社会の変化に対応できない法制度では困るが、でももっとも重要な人権に関する法律は、やはり時間をかけてほしい。

詳細を見たわけではないので恐縮だが、そもそも捜査権は憲法35条で極めて厳格に制限されており、加えてこれを踏まえて作られている刑事法の制限を逸脱する違法な捜査が多数行われて、それに対する判例も多々ある、つまりそもそも権力には土壌として違法捜査をする傾向が強いという点に想いを至すべきだ。

そもそも、武器輸出にしても、特定機密情報にしても、集団的自衛権にしても、憲法の付託を逸脱すると思われる法律の制定が続きすぎる。それにも関わらず、森友問題とか加計問題とか、もちろん事実として政治の関与があれば由々しき事態ではあるにしても、スキャンダルにかまけて、本質的な議論が後回しにされている感が強い。

そして、このような本質的な議論が出来ないし、それを推進することも出来ない野党、更に国民の声を伝えるべきマスコミのだらしなさには、あきれるばかりだ。もちろん全て国民の責任と言われればその通りだが、ただ大騒ぎするだけでなく、無関心な国民にもう少しきちんと事実や背景を伝える手段を考えられないのか?この流れは、本来であれば当然に倒閣への強い動きが発生すべき状況だと思うのだが、ただファッショなリーダーに皆が唯々諾々と従う構図になっているのは、何故なのだろうか?

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