何か判断基準がおかしいような気がする
北朝鮮の金正男氏の死亡で暗殺説が出ており、まさにスパイ小説のような話で、巷は盛り上がっている。私自身、トム・クランシーやロバート・ラドラムは大好きで、最初に聞いたときは驚いた。だが、その後実行犯と思われる人たちが次々と逮捕されるに至って、何ともお粗末と感じざるを得ない。よほど北朝鮮の組織がお粗末なのか、それともマレーシアの警察が優秀なのか、はたまたそもそも所謂暗殺ではないのか、どうもはっきりしなくなってきている。
さて、昨今どうも良く分からない話が横行している。一つは堺市で始まったコンビニでの成人向け雑誌へのカバーの措置。これに対して、表現の自由の制限につながるという主張が出ているようだ。私は以前PTAの仕事をしたことがあって、その際まさにこのような成人雑誌が、しかも単に女性の裸身が見れるというだけでなく、所謂デリヘルなどで働く女性の写真とサービス時間、料金などのリストが入っていることは、さすがに小学生でも見れるような形にしておくのはおかしいのではないか、と議論をしたことがある。
だが、概ね「営業の自由の侵犯になるのではないか」などの議論が出て、大きな組織としては動けず、その後チェーンストア協会に行って、話をしたところ、やはり「表現の自由」との関係、それからコンビニがフランチャイズ制で、この手の雑誌の出版業者が直接送ってくるので、業界としての対応が難しい、などという話を聞いた記憶がある。
確かに表現の自由は民主主義にとって最も大事な人権の一つだが、だからと言って野放図であって良いということにはならない。世界中で、このような本が平気でどこにでも置いてあって、電車の中でかなり露骨な表現の雑誌の宣伝が見れるのは、わが国だけだ。ある程度の規制をすることは当然ではないか、と考える次第だ。
一方で、保育所で国歌・国旗を強制する運営指針の改定が進められているようだ。だが、そもそも国歌・国旗に関しては、多くの有名な訴訟があり、ましてや必ずしも日本国民だけが行くとは限らない場所で、これを強制する目的は何なのか?確かに君が代、日章旗は我が国を代表するものではあるが、それが国歌であり国旗であると認識するだけで十分なのではないか?
一方で、不必要に権利を主張し、一方で不必要に国粋主義を主導する流れ、どうも我が国がどこに向かっているのか、良く分からない。もっと普通の議論が出来ないものだろうか?