人類社会の行方
今、ルーマニアのClujという町に来ている。現地の農業系の大学と日本の大学の協調ができないかというのが主題で、思いの外広い大学のホテルに宿泊し、明日ロンドン経由で帰国の予定だ。盆地にあるコンパクトな町で、大学が中心の言わば学研都市、研究者にも何人か会ったが、皆一生懸命自らの研究を説明してくれ、とてもホスピタリティが高いと感じた。まだ、あまり日本の学生はいないようだが、中国人も少ないようで、元々の農業国家という意味でも共通点はあると思われ、更に連携を深められればと感じた。
今週はロンドンにいたが、仕事の合間にミュージカルを観た。レ・ミゼラブル。考えてみると、私がNYにいた時に、最初の公演が行われ、観に行った記憶がある。その後例の映画があった。だからこれが3回目。ジャン・バルジャン役の声量、そしてコゼットの母親やエポニーヌ役の情感溢れる歌声に久しぶりに大感動。
考えてみると、子供の頃に「ああ無情」を読み、更に違うバージョンを読んで、その後「レ・ミゼラブル」の文庫本を読んだが、何故かわが人生で、常に引き付けられてきたストーリーだ。罪とかいう部分よりも、人の愛というところが、共感を呼ぶのだろうと思うし、加えて背景として描かれているフランス革命が、社会の在り方とも関連付けかれて印象を深めているのだろう。
それにつけても、人類が長い歴史の末にたどり着いた不変の原則である人権という概念を、敢えて見せるためかもしれないが、全く否定し、自国の憲法の概念も無視して三権分立を否定しかねないようなトランプ氏の言動には、違和感を覚える。思い起こせば、我が国安倍総理も立憲主義に対する理解が十分あるとは思えず、国家、或いはそのトップが国民の付託を無視して好きなようにできる、と考えているように見えるのとも重なって、背筋を冷たいものが走る。
トランプ氏の言動が、小生が一つの可能性として推察しているように、単なるブラフであってほしいし、単にトランプ氏に取り入るだけでなく、たしなめるような一言も我が国の総理には期待したい。そしてその過程で、人類のこれまでの歴史を紐解き、自らの思い違いにも気づいてくれればと感じるこの頃だ。