環境変化に対応する仕組みが必要なのでは?
トランプ政権誕生が近づき、産業界をはじめ、貿易などはどうなるのかといった勉強会などが頻繁に開催されているようだ。一つには、引き続き自動車問題をはじめとして、トランプ氏がポピュリズム的な発言を続けていることから、今後の政策への懸念があるのだろうと思うが、政治が行政がそんなに簡単に大きく転換することは出来ないはずで、準備が必要だから勉強するのは良いとして、要はもともと準備不足なのでは、と言わざるを得ない。
政権が変わろうと、同じであろうと、人類社会は徐々に変化をしてきているのであり、これを相応に察知して、常に修正をしていかなければならないはずで、トランプ政権の誕生もある意味ではそのような米国社会の変化が現実になったのだとすれば、そのことを驚天動地のようにとらえ、慌ててどうなるかという心配をすること自体、そもそも現状認識が甘いということだと考える。
そのような観点から我が国の状況を見ると、東京都議選をめがけて小池知事が候補者を集めているということが話題になっている。自民党を中心とした与党勢力を悪と位置付け、これに対する知事派を作って小池知事の政策を実現していこうというものであって、政治家としては当然のことなのかもしれないが、どうも釈然としない。
同じようなことが大阪でもあった。大阪では、そもそも都構想という制度そのものを大きく変革する政策の実現のため、という大義名分があったような気がするが、東京都についてはそのような制度変更の話があるわけではない。あくまで豊洲やオリンピックといった個別の政策論の問題だ。
知事が公選で選ばれ、その政策を別途公選で選ばれた都議がチェックするという我が国の地方自治の仕組みからすれば、一般論としての与党は存在するにしても、知事の意向がそのまま反映される議会の構造などを作り上げるのはおかしいと言わざるを得ない。
知事が一つの考え方で政策を進め、これに対して異なる理念を持ちながら個々の政策に対して是々非々で賛否を表明する、そういう流れこそが、社会の変化に柔軟に対応できる仕組みにつながるのではないか?知事と多数派の都議との合体は、結局小池知事が批判していた以前の都政の知事と都議との関係と何も変わることのない流れを作り出すに過ぎないと考える。