国際社会に貢献するために
タイの国王が亡くなった。これまで国家の支柱としての存在だっただけに、これからの同国の状況はちょっと心配だ。都市部と農村部、更には軍の様々な勢力が対立構図を引き続き続ける中、微笑みの人々の生活が安定的に進むことを心から祈りたい。
さて、米国の大統領選も近づいてきたが、相変わらずの罵倒合戦、言論の自由はもちろん尊重されるべきだが、世界をリードする国としては少し残念な気がする。クリントン候補が優勢と昨今は論じられているが、これまでの支配層に対する反発は決して見過ごすことが出来るような水準ではないと思う。まだまだ予断は許さないと感じる。
それにしても新座のケーブルの話はお粗末だ。個別点検と言っても、目視でどれだけ分かるのか?住民の安全に関わることでもあり、そもそも交換時期を定めていなかったという点が、大きな疑問だ。先進国の企業のあるべき姿からは大きく遅れていると言わざるを得ない。
地方議員の白紙領収証が問題になっている。そして、マスコミはそんなことは考えられない、などと宣う。だが、本当にそうなのか?ついこの間まで、タクシーに乗っても、飲み屋に行っても、クラブですら、「領収証は白紙にしましょうか?」というのは一般的だったと記憶している。確かに、昨今は会計基準も厳しくなってきてはいるが、民間も、マスコミも賤しい人々は沢山いた、あるいは今でも沢山いるのではないか?
このような企業の経営の在り方、国民の在り方で、我が国は世界にどう貢献すると言うのか?経済力には自ずから限界が露呈してきている今、単なる経済だけではない国際貢献を考えるべき時に来ている。ちょうどノーベル経済学賞は、ほとんど米国で研究してきた人々という指摘が出ていた。確かにそのようだが、だから米国流の経済学を目指すべきなのか、世界の構図が大きく変わり、所謂米国型の金融酒本主義が疑問を呈される今こそ、故宇沢教授のような異なる歴史観、世界観が必要なのではないか?
是非、我が国が先鞭をつけてそのような考え方が評価される世界を作っていくべきだし、だからこそ企業も国民も、それを標榜するに恥ずかしくない姿を目指すべきだと考える。