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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

世の中のバランスが崩れていないか?

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時々思うのだが、どうも今は社会のバランスが崩れているのではないか?つまり弱者救済とか、個人の権利だとか、労働者の権利だとかいうことが、ある意味で必要以上に強調され、またそのような権利を踏みにじる極端な行為が散見されるために、何でも一方的に議論され過ぎてはいないか?

刑事事件で、疑わしきは罰せずという基本的な考え方や、被疑者の人権が強調されるが故に、一方で被害者、例えば交通事故で亡くなった方の真実を求める権利が必ずしも満たされていなかったということなどは、比較的よく知られていることだと思う。自分の子供だけを特別視し、学校に対して理不尽な要求をする所謂モンスターペアレンツも有名だ。

いじめの問題でも、ある意味それを疑わせる事実があっても、子供たちの人権に対する配意やモンスターペアレンツの存在などが、自殺などを防ぐ行動を制約している可能性もある。パワハラが人権にかかることであるのは事実だが、一方で仕事を真面目に遂行しない者に対して、これを矯正する手段は益々少なくなっている。

まともに仕事に取り組まず、ダラダラと職場にい続ける人間の残業代が認められ、これを否定すると、労働関連の行政が厳しい措置を取る。認知症などで同居が面倒になった家族が、高齢者を施設に預け、その高齢者が何らか施設でトラブルを起こすと、全て施設のせいにして自らの責任を全く認識しない。

確かに、経営者に対する労働者とか、子供とか高齢者など、社会的に見て配慮すべき存在であることは事実だ。また、それを確実に実行するために、結果対応としての司法ではなく、事前の対応を可能とする行政が関与すべきこともよく理解できる。だが、行政はそもそも責任を取らないというのが我が国の基本的な仕組みであるが故に、行政が責任を回避しようとすることから、結果として声の大きなクレーマーの方を重視するという結果になってはいないか?結論が歪んではいないか?

考えてみれば、昔は社会が子供を育て、家族が高齢者の面倒を見、企業が従業員を育てるという仕組みが、相応に社会のバランスを保っていたように感じる。社会システムは、変わっていくものだが、あまりに利己的な自由主義、コスト削減だけを目指した効率化・成長一辺倒の社会を作り上げてようとしてきたことが、このようなバランスの崩壊と歪んだ社会正義を生んでいるような気がしてならない。

おかしな結論にはおかしいと言えることが重要だと思うのだが、ファッショ政権の下では、「もの言えば唇寒し」となる。国際競争や、大国の対外積極進出などという外的な要因ではなく、国民の劣化とこれを結果として増幅させる社会システムという内的な要因で、我が国は滅びの最終局面に達しているようだ

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