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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

今の国際秩序は適切か?

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国連総会で、日本が提出した核廃絶決議が採択された。しかし、中国やロシアに加えて英米も反対或いは棄権し、核保有国の賛同は得られなかった。中国などは、日本が被爆国であり、そのことをもって自国の過去の立場を正当化するつもりだと批判し反対しているようだが、これはためにする議論であり全く受け入れがたい。

そもそも、既に核を保有している国にしてみれば、これは抑止力として極めて重要な意味を持つので、軍縮には賛同してもなかなか廃絶には賛同できないということは理解できるし、現実の人類の世界が相変わらず紛争の繰り返しであることも、これを裏付けるものだろう。

だが、報道によれば、今回の決議案は廃絶時期を示さない穏健なものだったとのことだ。これも踏まえて考えてみると、要は核保有国は永遠に核のない平和な世界は志向しないということなのかという疑念を抱かざるを得ない。日本としては、第二次世界大戦を終結させる目的だとしても、核爆弾の使用は本来は正当化できるものでないと考えるわけだが、一歩も二歩も譲って、ただもう使わないようにしようと主張しているわけで、その基本的理念である人類社会における平和の希求の精神も持たない核保有大国が秩序の中心だとすれば、そもそも国連という機関の投資の目的にすら反しているのではないか?

我が国は、相変わらず敵国条項対象国であることは、このブログでも再三指摘しているが、そもそも第二次大戦の戦勝国を中心に組織したという歴史的経緯は認めるにしても、それから70年が経過して、相変わらず戦勝国の大国が特別の権限を保有することなど、もはや正当化できるものではないだろう。

国連が、本当に様々な大国・小国がある中で、世界の秩序を調整し、人類社会の平和を求める機関だとすれば、そろそろあまりに古い因習からは隔絶して、新たな形を志向すべきだと考える。第二次大戦後の、東西冷戦が世界の基底をなしていた世界と、中国・インドという人口の観点で異様な地位を占める国家の存在、更に途上国の台頭やイスラム圏の発展などの変化が起こり、且つ更にその傾向が継続するとみられる現在の世界とは、全く構造が異なるのであり、このような観点を踏まえた安全保障理事会を含めた機構の見直しをすべきだと考える。

今こそ、我が国は欧米先進国などとの協調は継続しながらも、これまで国際社会において発言力が制限されてきた途上国の国々などとも連携して、本当の意味での国際社会における主権をそれぞれの国が獲得できるように進めていくべきではないかと考えるのだ。もちろん道のりは険しいだろうし、必ず第二次大戦の責任論が再び巻き起こされると思われるが、これの乗り越えずに、我が国の未来もないような気がする。我が国において国民主権は踏みにじられているが、国際社会において各国の国家主権はきちんと確立すべきだと考える。

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