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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

原理原則の大事さ

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昨日とあるフォーラムでモデレーターを務めたが、基本的な議論の方向性として、ウォールストリート型の、株主がすべてであって資金余剰があれば配当すべきだという考え方の問題点を指摘するものだったところ、現実に世界も徐々にそのような方向に向かっているという感触が得られて、捨てたものではないと感じた。

つまり、企業はあくまで社会の構成員の一つであり、且つ設立の目的や理念に従って経営されるべきもので、これを理解して投資した以上、そのリスクは投資家が負うべき責務であって、短期的な収益が少ないから議決権を行使して経営方針を変えようなどということ自体は、ことの本質を大きく逸脱しているということなのだ。そして、そもそも株主資本主義は、株主が個人たる市民であった時代の市民主権の焼き直しであって、機関投資家などの巨大株主の存在を前提としていない、ということでもある。

ずいぶん、一部の投資家やそれをサポートする機関が株式市場を牛耳ってきた気がするが、原則論に立ち返った議論がスタートしていることは評価できる。ただ、驚くべきことは、本来欧米型の資本主義とは異なる社会風土から出発した我が国の経済社会が、必要以上に欧米型というか株主市場型の、ROE重視型の、まさにウォールストリートそのもののような企業経営を、既に欧米で見直しの機運が高まりつつあるときに声高に志向しているということだ。

そして、恐ろしいのは、そのような原理原則を外れた議論、ある意味では遅れた欧米追随が、民間の一部のみならず、行政や政治の世界でも色濃く浸透していることだ。例の横浜の傾いたマンション事件で、国交大臣は全ての関係した会社に責任があるとコメントした。気持ちとしてそのように感じることは分からないでもない。だが、事は法的な争訟につながる可能性が高いのであり、それに対して一省庁の長が軽々に責任などという言葉を使うことは極めて不適切であり、どうも行政の役割や在り方といった原則論が忘れ去られている気がする。

公明党の山口代表は、安保関連法が成立したので、憲法改正をする必要は遠のいた、と発言した。これは護憲論者に対するリップサービスのつもりなのかもしれないが、語るに落ちるとはこのこと。つまり本当は憲法改正をしたかったが出来ないので安保関連法を上程した。これが成立したので、事実上憲法改正と同様の効果は得られるのだから、改めての改正は不要である、というようにしか取れないのだ。

護憲の政党として、一新興宗教が背景にいるにも関わらず、中立的な対応で相応の地位を築いてきた公明党としては、国民の側から見ても驚くべき変節であり、一政党のこととは言え原則を外れたものだと言わざるを得ない。世の中は変わっていくし、それに応じた修正は常に行っていく必要があるが、やはりそれを貫く原理原則はそう簡単には変わらないし、変えてはいけないのではないか?

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