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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

もっと広い心を!

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先ほど食事に嫁と外に出かけたら、安保反対のデモとぶつかった。私自身も今回の法案には反対だから良いのだが、どうも甲高い声と言っている内容が、すんなりと腹に落ちない。もちろん安保法案自体の危険性は、私も指摘しているところだが、問題は内容というより、もちろん内容に深く関わってはいるが、そもそもの進め方なのだということを理解してほしい。

要は、憲法を変えることが出来るのは国民だけであり、国民の付託で内閣などは権限を行使しているのであって、これを超える権限は持っていない、だから今回の政府解釈による憲法の改正に該当すると考えられる行為は許されないのだ、ということなのだ。

今回の安保法案の面白いところは、結局最終的に中国を仮想敵国として、米国を同盟国として明確に位置付けているところだ。確かに、尖閣列島の問題など、中国という国はなかなか相手をするには難しさのある国だということは分かる。また、ある意味で世界で唯一残された共産国家であり、覇権主義の国家のように見える。

だが、だとすれば、我が国は中国を敵に回すのか?そもそも我が国の文化や歴史は、中国に負うところも多いのではないか?中国は戦勝国であり、我が国に対して事あるたびにいろいろと障害になってきたかもしれないが、でも米国とて戦勝国ではないのか?そして、戦後70年も経って、相変わらず我が国が敵国条項対象国であるのは、中国やロシアだけの責任なのか?

そのような米国を同盟国としながら、一方でこれを正当化するために米国や欧州の各国が最も大事にする立憲政治を踏み外す、一体我が国はどのような論理の一貫性でその運営を続けていこうとするのか?

一つ気になることがある。何故か、明治維新以来なのか、或いはそれ以前からなのか分からないが、我が国には欧米に対するあこがれと、アジアなどに対する優越感が厳然と存在しているのではないかという点だ。以前、ある技術の件で韓国のメーカーの世界最先端の技術との提携を持ち込んだ際の、日本の企業の反応が鼻についた。

確かに、一時的に我が国の技術はかなりの分野で世界最高水準であったのだろうと思う。だが、世界は広く、世界中の人々が少しでも人類を豊かにと考えて尽力している。概ね全ての技術がまだ日本に残っているのは事実だが、既にアジア諸国の技術が優れている分野は多い。その現実を認識せず、アジアの企業を評価しない狭量な態度は、我が国の近い将来における消滅につながる暴挙だ。

欧米であれ、アジアであれ、優れているものは優れていると認め、また我が国も残念ながら海外に学ぶべき点が多いということを理解すべきだし、政治的環境は別にして中国や韓国に対しても、偏見なしに付き合うべきで、これを近親憎悪のように排斥すべきではない。

偶々今世話になっている組織に中国の若い職員が数名いるが、全員極めて有能なことは間違いない。ただ、もちろん日本語の能力にはまだ改善の余地があり、そのことが彼らの仕事に関するある意味での障害になっている。だが、ある意味で彼らの方が心が広く、それでも自分の能力を生かして何とか組織の貢献したいという姿勢を示している

それに対して、逆に組織の管理者の方が、日本語に難点があることを理由に必ずしも十分に彼らの能力を引き出しているとは思えない。そもそも日本人は、また日本の文化は極めて懐が深いところが特徴であり、それが明治維新以来我が国が欧米列強の驚きにつながったところでもある。

今一度、一つの国家とだけ同盟関係を結び、その国の言いなりになって、経済社会すら短期的な収益だけを追い求める仕組みに拘泥するのではなく、より幅広い視野を持って、新たな価値観で様々な文化、国家とお付き合いをしながら、第二次大戦の結果を前提とした価値観と異なる国際社会を、平和の下に作り上げていく、そんな日本であれないか、考えてみてほしい。

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