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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

本当に先を見通した戦略を!

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ちょっと不思議なのだが、この間軍艦島などが認められたかと思ったら、また世界遺産の話が報道されている。そもそもいろいろと種類はあるのだろうが、そもそも世界遺産になるようなものが毎年新たに生まれているものでもなく、継続的に認めるというやり方は本当に適切なのか?また、そもそもバカの一つ覚えのように、毎年申請するというのは制度の趣旨に相応しいのか?

このままいけば世界中に世界遺産なるものが異様に増殖して、何を見てよいわからなくなるのではないか?それ以上に、登録された直後は観光客の目を引くと思うが、世界遺産であるが故に、維持補修や周辺の環境など様々な要請があるはずであり、それを維持し続けることが出来るのか?もちろん重要な遺産が良く管理されることは望ましいが、ただ、制度に参画してお祭り騒ぎをするだけでなく、よく先のことを考えて対応すべきではないか?

これは、東京オリンピックも同様だ。国立競技場の話だけが盛り上がっているが、どうもその他の施設も当初の想定コストとはかなりかい離する建設費がかかるようだ。ましてや、それぞれについて五輪後の利用や維持費のことまで念頭に置かれているとは思えない。以前に長野県の外郭団体の見直しに関与したことがあるが、その際に長野冬季五輪のために作られた道路・橋に関して、五輪後の需要に関する当初の見込みが如何に甘かったかという実例を見せられたことがある。

このようなことは我が国の行政では日常茶飯事で、これが何故起こるかと言えば、要は行政事業を実現することが目的で、それが本当に活用されて国民・住民のために役に立つかという観点が考慮されていないからだ。もちろん政策目的の検討段階では、国民のためという議論はあるだろう。だが一旦ではこの事業をやりましょう、と言った途端に事業自体が目的となる。

今や昔の話となったが、ひところは世界に冠たると言われた我が国企業経営の長期的視野に対して、何故行政や政治はこのような先を読むという発想がないのか?事業計画を作る際は、うまくいかない場合の代替プランを用意しておくべきだ、またその進捗については、PDCAできちんと管理すべきだ、これは中央官僚も企業経営者もここ数十年様々な局面で欧米型の経営論から学んできたことだ。欧米流がすべて正しいとは言わないが、この点はもっともだと思う。それにもかかわらずなぜ出来ないのか?

いつもの話に戻って恐縮だが、安保法制も同じだ。違憲かどうかもさることながら、実質的国際情勢への対応の問題だと指摘する専門家もいるようだが、私はそれは間違っていると思う。まず、改めて指摘したいのは、私にとっては明らかだが、仮にそうでないとしても文理上これだけ合憲性について議論がある法案を、強行採決するということ自体が、合憲・違憲にかかわらず立憲政治に違背するものであるという点だ。

仮に、指摘されるように実質的国際情勢に対応するため集団的自衛権が必要だというのであれば、正々堂々と憲法改正をやればよいし、それこそもう少しうまく国民に説明をすれば理解を得られるかもしれない。ただ、そもそも名指しで中国を脅威と述べ、一方でアメリカを同盟国とすることについて、それが本当に我が国の安全保障のためになるのか、再度よく考える必要はないか?

確かにアメリカは戦後の我が国を守ってくれたという側面はあるだろう。我が国は分断もされなかったし、象徴的天皇制は守れたし、米軍は駐留してくれたし、我が国の戦後世界経済における独り勝ちを放置してくれた。だが、米国が我が国に原爆を落としたというのは事実だし、そもそも第二次大戦に至る経緯には米国の周到な戦術があったとの指摘もある。ましてや、本当に戦争状態になった時に、米軍の青年たちが命をかけて我が国を守ってくれる、また米国がそのような力を保持し続けるという保証がどこにあるのか?

私も米国に長期にわたって住んだことがあるし、米国は二つ目の故郷だが、だからと言って未来永劫心中する相手として米国を選び、例えば中国を仮想敵国とするという判断は、一体誰がどのように行ったのか?そしてそれは50年という先を見通したとき、本当に適切なのか?どうも根本的な議論が全くされないまま話は進んでいるように思う。私も中国に対しては決して手放しで親しくありたいと感じているわけではない。

だが、そもそも韓国も含めて同じ歴史的背景を持つ国家同士として、世界社会に一緒に貢献することも考えうるのでは、と思ったりもする。このまま中国を仮想的として集団的自衛権を認めることは、首相の言うように戦争状態に入るのを回避する予防ではなく、逆に対立構造を惹起する、現状より危険な状況を作り出すことではないのか?米国との同盟関係を維持しつつ、中国ともより対立色の少ない関係を構築していくということを選択すべきではないのか?そして、軍事的対立や同盟を安全保障の基本としようという考え方自体が、憲法の考え方に違背し、さらに言えば旧態然としたものではないのか?

最後に、最高裁判所が憲法解釈の砦ということについて、確かに憲法判断は最終的には訴訟で最高裁が審理するしかないが、そもそも付随的違憲審査権しか持たない最高裁を錦の御旗にすること自体、現政権は憲法の意味を理解していない、極めて不適任な輩と申し上げておきたい。また、国際法で認められているから当然だ、というもの言いは、笑止千万である。国際法が認めているということは、国民がやりたいといえば出来るということであって、憲法で認めていないことが自動的に認められるはずがないことは子供でもわかる論理だ。

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