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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

「時間がない」は理由にならない

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新国立競技場問題で、政府は計画変更をしていたら間に合わないというが、そんなことが理由になるだろうか?必要であれば、限られた時間で集中的に議論をしてでも決めれば良い。少なくとも、五輪後の利用可能性や維持費などを想定した規模や仕様の概要は想定できるはずだし、その上で適正な予算規模もある程度仮定は出来るはずだ。それを前提に既存の設計をどうするか、ラグビーのワールドカップは別対応とするか、という点を決定すれば、対応はできたはずだ。

ラグビーについては、自分が決められることではないだの、そもそも設計は民主党政権が決めただの、予算の詳細は知らされていなかっただのと、子供の言い訳にしか聞こえない。民主党から自民党政権になって何年経っているのかを考えると、要は現政権は何も自ら対応せずにここまで放置して、問題が表面に出た途端に人のせいにするという、無責任極まりない対応をしているとしか、言いようがない

違憲な(この点は議論の余地はない)安保法制の立案ですら自分たちで出来るのだと強弁をし、一方で国立競技場の建設については、3年も政治の中枢にいながら変更もできない、使い方すら決められない、などという詭弁が通用するとでも思っているのだろうか?こんなに無責任な人たちは見たことがない。それが、国民の命を守るのは政府の責任などと言って、国民と憲法によって与えられた限られているはずの権限をひたすら濫用しているというのが今の現状だ。

総理は、自衛官のリスクは下がっていくと発言したようだ。もちろん集団的自衛権がなかろうと自衛官のリスクは相応にはあると思うが、他人の戦争に巻き込まれ戦地に赴く可能性があるとなれば、明らかに自衛官は職に就いた時に想定したものをはるかに超えるリスクを抱えることになるわけで、そんなことが本来の労使関係を念頭に置けば一方の当事者である雇用主たる国の一存で許されるはずのないことは、子供でも分かる論理だと思うのだが、そんなことすら彼には理解できないのだろうか?

このような無責任な、無定見な人々にこれ以上我が国を任せ、権限濫用を続けさせるわけにはいかないと最近は強く感じるのだが、これは私だけだろうか?

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