本当に政治は国民の声を代弁しているか?
今週は、最近の報道に関してちょっと気づいた点を一言ずつ指摘したい。
1、米国で開催された災害ロボットの競技会で、我が国は4チームが参加、総勢23チームの中で日本からの参加者で最高位は10位とのこと。1位は韓国のチームだったということだが、そもそも原発事項のようなものを想定しているこの大会で、上位にすら食い込めないというのは、どういうことか?原発事故がすでに起こっているのに、誰も危機感を持っていないという現実が見えるような気がする。
2、国立競技場の建設でいろいろな議論が行われているが、いずれにしても最近の他国での五輪開催のケースと比較して異常にコストがかかることになっているのは事実だし、加えて五輪後何に使うのか、維持費はいくらかかるのか、などのことが不明確なのは明らか。相変わらず、1964年の五輪時と同様、箱を作ればよいという愚かな考え方しかないところに、我が国の政治の貧困があるのでは?
3、健康増進のために、砂糖に課税?もちろん肥満などの問題は回避すべきだが、そもそも諸外国と比較してもスリムな体型のわが国民に対して、税を使って健康増進などというのは、発想がズレていないか?それよりも、どうすれば寝たきりを少なくできるか、もっと考えるべきことはあるのではないか?
4、世界遺産について、韓国がこれを政治的に活用しようとすることには疑義はあるが、韓国側も妥協案を提示しているらしい。そして、強制労働のあったことを認めるべきだとしているようだが、これに対して日本側が、強制労働のあった期間は今回の申請が対象とする産業化の時代に含まれないとして反論しているらしい。だが、強制労働があったのであれば、それは事実として認めることで何の問題があるのか?産業化の一環にそのような時代があったこともまた、歴史の一つの過程だと示すことも大事ではないのか?
5、改正防衛省設置法で、自衛官が官僚と対等に防衛相を補佐することになったようだ。だが、これはある意味文民統制の撤廃であり、先進諸国では考えられないことではないのか?集団的自衛権もそうだが、武器輸出や、本件改正をはじめとして、明らかに現政権は戦争をしたいと思っているとしか考えられない。
6、集団的自衛権が違憲かどうかが議論になっている。そのために専門家が意見陳述を行い、一方で政治家が自国民を守るために学者以上に検討してきたなどと主張する。だが、専門家の意見に待つ必要もなく、集団的自衛権が違憲であることは、子供でもわかる。そして、それを「我々が国民を守るために考えてきた」と思いあがる政治こそが問題なのであり、このことを決定するのは我々の代弁者としての資格すら持っていない愚鈍な政治家ではなく、真の主権者である国民なのだ。