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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

オリンピックの理念と開催地

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昨日海外から戻って、明日からまた海外、最近ドタバタであまりゆっくりと書いている時間がないが、取り急ぎ一言。

ピョンチャンでの冬季オリンピックに関して、工事の遅れから一部長野を含む近隣地で開催のような話が出た。これは、そもそもIOCが、従来は単一市での開催としていたルールを緩めることで、様々なところでの開催を容易にしようとする試みであり、方向性としては歓迎できる。

もちろん、そうは言っても、現状の韓国の日本に対する対応からすれば、韓国がそのような要請を日本にするとは考えられないし、韓国政府としても、一旦コミットした以上はきちんとやり遂げたいと考えるだろうから、既に開催地が決まったところについては、途中でこのような修正を行うのはあまり適切ではないと考えるが、本当に必要であれば、日本は四の五の言わずに手を差し伸べるべきだと思う。

一方で、これは東京オリンピックの開催云々の時にも指摘したことだが、そもそも韓国にしても日本にしても、相応の経済発展を遂げた国が、オリンピック開催を独占し続けることに違和感を感じる。確かに、セキュリティや財政負担を考えると、なかなか開催の決断に踏み切れない国が多いのも分かるが、だとすれば、そもそも世界平和のためにあるオリンピックなのだから、何故国際的な協力体制が築けないのか?

1900年にアテネで開催した時代とは、世界の置かれた環境は異なるのだから、開催のルールについては、基本理念に沿って積極的に見直しても良いのではないか?その意味で、中心開催地・国はもちろん必要だと思うが、ある程度柔軟にゲームによる開催地を広げ、すべてが整っていない国においても開催が可能なようにすべきだと考える。

加えて、開催に関して、周辺国が支援出来るような仕組みを作って、財政負担も少しでも緩和するようなことは出来ないのか?1964年の東京オリンピックは日本の戦後の経済発展を支えた一大イベントになったのは事実だ。だとすれば、そのようなイベントを出来る限り世界の各地に広げ、世界中がスポーツを通じてより相互理解を深めることに尽力するのが、そのような恩恵をいただいたわが国の役目ではないのだろうか?

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