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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

読書しない秋

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どうも最近は仕事の出来が悪くて忙しいせいか、それとも年をとって(還暦になった)堪え性がなくなったせいか、読書をする機会がめっきり減った。元々結構小説は良く読む方で、決して理解力が十分ではないが英語の小説も良く読んだ。また、所謂学問書や啓蒙書の類も、精読ということはないが結構購入して眺めてみたりしていた。

何故こうなったのか?一つには、そもそも出版される書籍の内容が、あまり私の興味をひかないというところがある。もちろんだからと言って、著作者がレベルが低いとか才能がないとかいうことを言いたいのではなく、ただ出版界で上位にあるカテゴリーが自分と合わなくなっているのかなとは感じる。

つまり、小説にしても、教養本にしても、何となく多様性がなく、手にとって見ようという気にさせないのだ。確かに、本屋に行く機会そのものも減っているが、それでも偶には暇つぶしに行くのであって、問題はその際に買おうという衝動が起きないという点だ。

さて、導入は良いとして、最近珍しく手にしたものは、例のトマ・ピケティの「21世紀の資本論」だ。と言っても、別にきちんと読んだわけではない。ただ、ある意味で平易に当たり前のことを指摘しているところは好感が持てるし、その長期にわたる様々な経済的指標の分析は一つの示唆を与えてくれる

以前にも、日米開戦を経済的に分析したComing War with Japanという学問書を紹介したことがあるが、このような長期的分析の視点は、どうもわが国には比較的欠けているのではと感じている。未だに戦争をしている人類の愚行に鑑みれば、歴史の体験や経験が積み重なっているとは言っても、或いは社会制度が大きく変動しているとは言っても、実はこのような過去との比較から出てくる真理があるのではないか?

自分自身が、銀行の金利政策などを担当していた時期に、どうしても5年単位の議論となる業務運営の方針を検討するに当たって、20年の金利や資金調達・運用のデータを整理したことがある。これが大局観ある判断につながると感じたのは、今でも記憶に残っている。

話は変わるが、オリンピックについて、一言触れたい。オリンピックがクーベルタン男爵によって提唱された時期は日本においても日清・日露と大きな戦争を繰り返していた時期だし、やはり平和に対する思いは強かったのではと推察できる。

だとすれば、やはり日本で開催される次回のオリンピックもそのことを明確に念頭に置くべきだし、「おもてなし」とか、国際都市東京とかで、わが国に関心を持っていただくことはもちろん大事だが、この機会を自国の宣伝のためとか、ましてや経済的なメリットのために利用すべきではない

このような観点に立つと、一つ大事なことはやはり子供たちの存在だ。これからの世界を作って行くのは我々ではなく彼らであり、子供たちが、国や民族、宗教を超えて、フェアな精神で共に競い合い或いは協力しあう、そのような精神を培える場として、感動のオリンピックを開催すべきだと考える。

だから、少しでも多くの予算を、政府関係者や産業界の大物ではなく、世界中の子供たちの招待に当て、そして、彼らがゲームを見るだけでなく、競技者たちと触れ合い更には子供たち同士で触れ合える、そういう場を数多く作ることが大事だと考える。

もちろん政府の予算だけではない。日本の国民が世界の平和のために何が出来るかと考える一つの起点として、オリンピックにおいて世界の子供たちや、それから貧しい国の競技者たちに、少しでも手を差し伸べることが出来れば、と強く感じる。私も、自分で何が出来るか考えてみるが、是非拙稿を読まれた方で何かお考えがあればお聞かせいただきたい。色々な人が様々な考えを持って、協力しあうところからしか、社会は開かれていかないと思う。

 

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