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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

秋入学ー好きにしたら?

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ちょっとバタバタしているので、今週は簡単に。

東大の秋入学の話で盛り上がっている。どうも多くの国立大学が同調する様子だ。東大はわが母校だし、学長は高校の先輩でもあるが、あまりにマスコミが取り上げているので一言。

まあ、わが国の社会の年度初めとの関連などあるが、学期をいつ始めるかなどある意味で自由で良いと思うので、好きにすれば?というのが私の意見だ。もちろん実際には、すべて春スタートで仕組みが出来ているから、これとの調整が出来るような細部の制度改正は必要だろうが、それ以上に全面的な移行など考えない方が良い

東大は確かに日本でもっともレベルの高い大学だということになっているが、世界のレベルからすればさほどのことなない。だから日本の大学教育を主導するとか取りまとめるなどと意気込まずに、本当に必要だと思うのであれば一校でやればよいと思う

ただ、教育のグローバル化などと言っているが、それと学期の開始がどう関連するのか良く分からない。確かに海外の大学との関係で、学期が一致している方が学生が移動しやすいのは事実だろう。だが一方で、社会や文化が異なる地域の大学に入るとすれば、相応の準備期間が必要なのも事実。わが国の学生が米国の大学に留学する際、まずコロラドなどで語学の短期留学をしてその上で本番のMBAなどに向かうなどはこの例だろう。その意味で開始期の違いは有効に機能している。特に世界的にも英語のレベルが低い日本人の場合、このような期間は結構大事だ。

別に日本の学生が海外に行かないのは、学期がずれているからではない。そもそもそのような意欲のある学生の数が少なくなっただけだ。特に英語のレベルが低下し、更にこれを勉強する意欲が低下しているようだ。

一方で、海外の学生が日本に来ないのも、学期の開始期が最大の要因とは思えない。それより就職を含めた日本社会の閉鎖性、それから日本の大学教育の質の低さなどが原因だろう。だから、学期の開始期などより、まずは大学自身で出来ることは、その質の向上。そのためにはもっと実務経験のある、英語で普通に指導のできる教官を育てるべきだ。象牙の塔でもdomesticではなくinternationalに、ということだ。

そして、もう一つの理由が日本語。もちろん日本語の美しさを否定はしないが、一方でこの言葉が世界標準になるとも思えない。日本で学ぶ学生が日本語も理解し、これを踏まえてその先にある日本の文化や考え方を理解していただければ大変ありがたいが、一方で日本的な考え方などをどう世界の標準言語で説明するかも重要だと思う。

確かに、英語での教育を行っている大学や大学院は増えているが、日本人学生の質の向上のためにも、もっと特殊科目だけでなく一般科目について、日本語でも英語でも学べるような工夫は出来ないか?大事なのは、英語でよそ行きの日本ではなく本当の日本を学ぶことだ。

 

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