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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

テレビをなくしたら?

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木曜日の夜に新橋のとあるホテルの前を通りかかったら、あのあたりでは珍しい報道陣の群れ、どうも政治家がいるとのことだったようだ。旧来型の政治家ではあまり使わないホテルなので、多分与党の次期総理候補などの件なのかと思ったが、マスコミの狂想曲には恐れ入る。

これは自らを含めてだが、国民の民度=マスコミの民度=政治のレベル、というのが今ほどはっきりと見えているのも珍しいのでは?ちょうどこの時期にタイミング良くAKB48の総選挙なるものがあった。

秋元某という、ある意味マスメディア社会の天才、違う言葉で言えばマスメディアを利用しての一人勝ち金儲けの権化によって作り出されたAKBというユニットそのものを否定するつもりもないし、これに対するファンがその好みのメンバーに対して一生懸命サポートをするというのも理解できないわけではない。

ただ、何もそのようなごく一部の人々の行動を、あちこちで電波を使って流さなくても良いのではないか、と思うのだ。AKBファンだけが見れれば良い、それはテレビでなくても、インターネットなどで十分に達成できるのではないか?あんなことのために、トヨタ自動車はマーケティングコストを年間5千億もかけ、それで値段の高くなった車を我々は買っている、と考えるとちょっと変だと感じるのは私だけだろうか?

政治の話題もそうだ。もはやわが国の政治家や現在の国会に全く期待していない国民にとっては、菅首相がいつ辞めようが、大連立が出来ようが出来まいが、誰が次期首相であろうか、全く関心の外だ。とすれば、そもそもマスコミが多大なコストを費やして、一生懸命これを報道すること自体無意味だし、そのようなニュースなどを見ること自体国民にとってはストレスになる

では何故なくならないか?一つはマスコミの「自分たちが一番国民の関心事を知っている」という根拠のない思い込み職業意識、もう一つはマスコミとお笑いや芸能界、更には政界も巻き込んでの相互扶助システムの存在だろう。

もちろん私もお笑いを始めとした現在のテレビのくだらない番組を見ないわけではないし、見ればついつい見続けてしまうのも事実だ。しかしあのような番組がテレビで流れていることが、何故必要なのだろうか?インターネットが発達した現代では、見たいものは自分で選んで見に行けばよい。何もキー局で高いコストをかけて流す必然性はない

だが、これがなくなると困る人たちがいる。これがほかに流す番組を考えられない放送局であり、その社員であり、更には番組に登場するタレントたちだ。だから、お互いを守るためにタレントたちだけが参加する番組を山ほど作り、そのコストを大企業、最終的には国民に負担させているという構図だ。

東日本大震災で、様々なタレントが支援活動を行っている。もちろんこれは善意のものなので、批判するには当たらないと思う。だが、良く考えてみると、自分の私財を投げ打ったケースは極めて限られている。チャリティとか称して、自分たちは価値のある人間だから、そのイベントに来てその代金などを出してくれれば、それを寄付します、っていうことだ

つまり、番組のスポンサーと同様、国民のカネで自分が支援活動をしたという実績を作っているだけであり、加えてそのことが自らの宣伝にもなるとすれば、全く負担はゼロだ。それどころか、彼らが通常の活動でどれだけの稼ぎを持っているかを考えると、ちょっと腹立たしくなるのも理解していただきたい。このような人のふんどしで相撲を取って焼け太りするような構造になっているテレビを中心としたマスコミがどれだけ価値があるのか疑問だ。

確かに緊急報道など必要な局面はあると思うし、すべてがすべて不要な報道・放送だとは思わないが、一度テレビを政治やのぞき見趣味なしのニュース・緊急放送と、マンガなど子供向け番組だけにしてみたらどうか?タレントモノ、歌モノ、ドラマなどは趣味のものだからネットで見れば良い。

そうすれば国民は不要な情報に時間を取られることも、不愉快な政治家の顔を見ることもなくなり、結果として消費する商品の値段も下がり、マスコミ界にいる人々との生活格差も減って、少しは心地よい暮らしが出来るのではないか

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