国民不在の代表選ー日本変革の道は閉ざされたまま
辞職した社長が、一緒に責任を取って辞職した管理本部長に社長就任を要請?
あと1週間ちょっとで民主党の代表選挙だ。一政党の代表を決めるのだから、党員以外は本当は関係ない話だが、これが与党の代表だから結果として総理を選ぶことになる、となるとちょっと話は別だ。多分、これが以前の自民党であれば、善し悪しは別にして、全体の組織が出来上がっているので、ある意味誰がやっても大きな変化はなく、国民も安心して見ていられたのではないか?
ところが、現在は民主党政権。党の組織や、政策決定の仕組み、更には内閣と党との関係などすべてが不確かな中で、全く考え方が異なるかに見える候補が出ているのだから、これは注視せざるを得ない。私の所属する構想日本でもずっと議論してきているが、このように政権を担う可能性のある政党が、一つの組織として機能していないというような状況をそもそも制度的に許して良いのか?このような事態を念頭に置けば、そもそも代表選挙ではなく、明確に当初から代行を決めていない限り、党首の変更が伴う場合は、これが政権党の場合は即座に総選挙をするようにすべきではないのか?などなど疑問が湧いてくる。
もはや日本の政治は世界の笑いもの
ましてや、「もう政治家は今の任期が終われば辞める」と言ったはずの前首相が、はしゃいで動きまわることを通じて、このような事態を惹起したのだから、何をか況やである。更に出てきたのが、彼と一緒に退いた前幹事長。企業で言えば、経営の失策で退任した前社長と管理本部長が、3ヶ月後の取締役会で再度社長になるという話と同じだ。政策云々の前に、そのありようや進め方そのものが国民不在と言わざるを得ない。もはや、この事態は世界中から笑いものになっていて、だからこそ、円高対策ひとつとっても、「どうせ日本は何も出来ない」と見抜かれている、ということに何故気付かないのだろうか?
欧米的にみればまだまだ変革不徹底?
少し前のEconomist誌に、中国が世界第二の経済大国となったことと絡めて、日本の現状についての簡単なコメントがあった。これによれば、日本にはまだ世界に誇る技術があるが、一方で規制緩和や企業統治に関してはずいぶん改善されたものの、まだ不十分だと指摘されている。
そして、経済全体のシステムとして、資本や人材の配置の失敗が大きな問題だと言う。企業再生や産業革新のための政府の機関が、衰退し行く企業への資金供給に注力していること、そして起業を支援するベンチャーキャピタルが極めて限定的であることなどだ。
また、企業文化の中で、若手の経営スタッフが革新的なアイデアを主張することは遠慮され、一時は盛んになった起業希望の若者の比率はここ7年で半分以下に低下したとされる。海外留学もこの10年で大きく減少し、英語の試験の成績は富裕国の中では最低だそうである。更に、アメリカでは40%、中国でも20%の管理職は女性だが、日本では8%しかいないとも指摘されている。
今何が必要か?
このような社会、制度的な課題に言及した後、Economistの記事は日本の歴史にも触れて、こう締めくくる。「現政権は新たな成長戦略ということで呻吟しているが、すべての問題が相互に関連し合っているために、解決の糸口が掴めない。日本は、危機に瀕すると何とか解決の道を見つけてきた。鎖国時代の終わり、第二次大戦の後、だが、20世紀においてこの国を経済大国に押し上げた、金融を通じた資本の供給、大企業中心の産業構造、記憶ベースの教育、男性中心の終身雇用などは21世紀には通用しない。」
この指摘が正しいかどうかは別にして、本気で変革を、しかも政治だけではなく、行政、産業、国民が一体となって進めなければならないこの時期に、結果として総理を選ぶことになる民主党の代表選挙は極めて意味が重い。官僚組織をコントロールし、野党とも協調しながら、政権を運営する能力としては、私は小沢氏は今の政界では最高だと思う。そして、いずれにしても政治資金の件は最終的には立件できないだろうと考える。しかし、彼に政権を委ねることには疑問を感じるのは、私だけだろうか?