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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

引きこもり、末期ケアそしてレンタサイクル

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弱者を創造した高度成長

今朝の新聞に、引きこもり70万人、予備軍155万人との記事がありました。でも、事実を記載してあるだけで、周りを巻き込んでの対応が必要との一言だけでした。おそらく過去にも引きこもりに近い人たちはいたのだろうと思いますが、このようなニュースにならなかったのは、圧倒的に数が違うのだろうと感じています。そして、現在の引きこもりの原因は、職場でなじめなかったとか病気などが多いようです。

こう言うと、すぐに過当競争が悲劇を生んだということになって、弱者を救う必要があるという論調になるか、そもそも職場になじめないなどというのは人間的に弱いからだ、ということになるかのどちらかだと思いますが、やはり高度成長の中で、核家族化が進み、一人ひとりに対する家族や地域のケアが足りなくなっていて、その分個人の社会耐性が弱くなっていることは否定できないと考えます。しかし、だからと言ってこれを放置しておいてよいわけではありません。

ただ、当面の間、如何に様々な形でこれらの人々の社会復帰を支援しようと、自ずから限界があるのが現実で、その分社会的なコストを国民で負担せざるを得ないと思いますし、一方でやはり地域社会や家族のきずななど、人間社会の本質を取り戻す社会そのもののパラダイムシフトが不可欠だと思います。

社会的弱者を社会に取り込む

この間新宿救護センターの玄秀盛さんとお会いする機会がありました。テレビでも取り上げられていますからご存知の方も多いと思いますが、DVの駆け込み場所としてなど、幅広く支援活動をされています。その時に話のあったのは、刑務所の出所者の社会復帰の問題でした。出所者というだけで、やはり近所も会社も受け入れがたいのは致し方ない部分もあります。でも、そのために生きていけずに、結果また犯罪に手を染めてしまうという悲劇が繰り返されているのも事実のようです。

とすれば、どうすれば良いのか?その時話題になった一つの解決策は、出所者の方に例えばラーメン屋などの事業を起こしていただくことでした。唯一の問題はその資金ですが、それこそ事業として成功の可能性はあるのですから、ある程度資産を持っている方が、投資をするというのも考えられますし、もっと言えば、結果もし出所者の方々が社会に復帰できることになるのであれば、国家がその支援をしてもちっともおかしくない、と思った次第です。そして、考えてみれば、先の引きこもりだって、会社の職場とうまくいかないだけですから、自分で少ない仲間と起業すれば、同じように社会復帰につながるかもしれません。

不完全な社会の仕組み

日本は、戦後重化学工業化を国是として、世界の歴史に類を見ない経済成長を遂げましたが、どうもその過程でその社会への影響とか、個人の生活への影響に関して配慮が足りなかったのではないか、と思われます。

引きこもりも、ずいぶん遅れて出てきた高度成長のひずみだと思いますし、世界的に犯罪の比率は少ないとしても、出所者の社会復帰などに関して、社会として配慮が足りないのは事実です。そして、これを社会的弱者ということで一方的に支援しても、コストはかかるものの何の解決にもならないのは自明の理です。

シンガポールのある基金が、Quality of Deathという指標を開発しました。詳細は私も分かりませんが、要は死の直前、末期のケアのレベルを一定のデータなどで比較したもので、1位は英国と豪州、日本は大きく離されて23位です。台湾やシンガポール、香港が日本を大きく凌駕しています。

これも、医療や介護の充実を制度として目指してきたものの、残念ながら結果が伴っていないという一例ではないでしょうか?そもそも末期において病院に入院している平均期間が一番長いのが日本です。だからものすごい医療費がかかる。でも、殆ど意識のない末期の患者にとって、その尊厳からしても、また家族にとっての負担からしても、このような期間が長いということが望ましくないのは事実です。経済的成長を指向するあまり、付加価値を生まなくなった老人を隔離する、ということが行われた結果、社会との途絶を原因の一つとした生物活動の低下を招いた部分はないのでしょうか?

国の姿を考える

相変わらず、世界中で紛争は起きています。エコノミストという雑誌一つ読んでも、如何に各地で様々な形で人が死んでいるか、驚きます。でも、そもそもあまり世界観のある報道はなされず、国民を守る、安全に暮らすということに思いをいたすことは、日本人にとっては極めてまれなことになってしまいました。

そして、相変わらず途上国経済が伸びているから、そこを活用して価格競争で更に安いものを作るとか、途上国のインフラ整備で大型プロジェクトを獲得するとか、更には途上国を消費地点としてとらえ、そこでどうやって儲けるかとか、エコノミック・アニマルの姿は変わりません。

そして、そのために国同士の借款とか、ODAを活用して様々な支援を行い、だから国際貢献しているというのがわが国のスタンスです。でも、例えば、BRICSとは言うもののまだ中進国国であるブラジルは、アフリカ諸国を含めて様々な形で無償の国際協力を巨額に推進しているようです。もちろんこれも最終的には何らかの形でブラジルの国益に返ってくるという発想ではあると思いますが、大事なことは経済的な利益だけでなく、本当にそれぞれの国の役に立つことを通じて、国のファンになってもらう、何かあったときに後押ししてもらう関係を築くことだと感じます。

その伝でいくと、どうも先の地域社会の構築にしても、末期のケアにしても、そしてこの国際貢献にしても、わが国のこれまでのやり方はどこか配慮の足りない部分があって、それぞれの政策や行動が全体としてどのような結果を呼ぶか、逆に言えば望ましい全体の結果を達成するためにどのような周囲への配慮が必要か、ということについてあまりに思慮がなく、場当たり的であったか、ということに気づかざるを得ません。

今、世界中でレンタサイクルが急増しているようです。日本でも一部行われているようですが、要は駅などに備え付けてあって、そこから例えば会社までこれを運転していき、帰りに返す、といったものです。排出ガス25%削減を目指す一方で、これからますます生活が厳しくなる中で高速道路を無料化するよりも、車を持てなくして公共機関でレンタサイクルを提供し、更に公共交通手段を充実したほうが、20年、30年あとの幸せな社会につながるのではと思ったりします。もちろん自転車運転のモラル向上は不可欠ですが。

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