オルタナティブ・ブログ > マイク丹治の「グローバル・アイ」 >

 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

マイク丹治のグローバル・アイ その6

»

今日は二つの話題を取り上げたいと思います。

まず、政治と金の問題です。私が設立以来関わっている「構想日本」でも以前からこの問題は取り上げてきていますが、なかなか前に進みません。考えてみれば当たり前で、当事者である政治家が自分の首を絞める法案の作成に積極的になるはずはないというのが一つの理由だと思っています。小沢氏の問題が出たときに、彼が代表を務め解散したいくつかの政党に対して拠出された政党助成金の話が出ましたが、国民の税金で出したお金が、対象たる政党がなくなった場合にどうすべきか、という根本的な点も決めていなかった、ということもこの一環だと言えます。もちろん従って、この件で法的に小沢氏を責めることは出来ません。でも、規制がないからと言って、そのお金をどこに持っていっても良いという話には、ならないと思うのですが。

まあ、このことはさておき、政治と金の問題について一番の課題は、そもそも政治家に関わる政治団体が無数にあって、それが縦横無尽に関連しあってお金が流れているから、個々の政治家の活動の現実が、マスコミにも国民にも分かりにくいというところです。従って、これを一元化する、つまり国会議員に関連する政治団体を一つに限定する、ということがこれを可視化する上で最も重要なポイントだと考えます。

次に大事なのは、この政治団体の収支報告を外部が監査することです。国民が寄付をしたり場合によっては政党助成金という国民の税金が入っている可能性もある収支ですから、これが適正に使用されているかを監査するのは当たり前です。2009年から監査の制度は出来ていますが、未だに外形的で定型的なものに止まっているようです。民間企業が、何億円も払って詳細な監査を受けることを念頭に置けば、国民との直接的な関係がある国会議員にも厳しい監査を要求するのは当然のことと言えます。

そして、この収支報告の適正性を担保するため、当然にこれらの閲覧、複写、ネット上での公表を定めるべきです。公明正大に公表することから、監査人だけではなくマスコミや国民による監視も可能になるわけです。

そして、このような根本的な改革が、最初に記載したように当事者たる政治家の抵抗で、法案化されにくいという現状にかんがみて、是非このような改正を行うべきだという主張を国民運動として活性化し、このような法案の制定に積極的ではない候補者には国民は今後投票しないということを、それぞれの選挙区で明確に主張する必要があります。国民生活よりも選挙を大事にする、つまり自らの政治家としての職の確保に奔走する政治家にとって、投票してもらえないことくらい大変なことはないからです。

なお、一つ重要な点を忘れてはなりません。鳩山氏にしても小沢氏にしても、実際に不正があったとしてもそれは秘書のやったこと、従って自分には直接の責任はない、という主張になっています。でも、通常の会社であれば、エンロン事件を契機としてコンプライアンスとか内部統制などが厳しくなり、何があっても代表者が責任を負うことは明白になっています。国民の生活を預かり、国民の負託を受け、寄付をもらい、大部分が政党助成金の恩恵を受けている政治家が、自分の政治資金については、忙しいから知りませんなどという暴言は通用するはずがありません。先に述べた制度改革において、個々の政治家はその政治資金収支に関し、関与の有無を問わず全面的に説明責任を負い、粉飾や不正に関する責任を負う、という点は、当然の前提として明白にすべきです。

もう一つの今日の話題は普天間問題です。極めてネガティブな報道がなされていますが、ちょっと違う側面から見てみたいと思います。もちろん、二転三転する首相の発言は、沖縄県民に対してあまりに失礼というのは私も思います。また、決断力がない、或いはリーダーシップがないというのも否定できないでしょう。

もっと言えば、一旦二国間で決まった話について、軽々に政権交代が出来たから変えることが出来ると主張したこと自体、国家元首としての資格がないと言われても仕方ありません。ましてや、まだまだ火種が残るアジアの情勢にかんがみたとき、もやはスービックとクラークがないこの地域にとって沖縄がどれだけ戦略的な位置づけなのか、また、では沖縄の米軍を削減した場合わが国は自国をどう守るのか、など国民を守るという最も重要な課題に関して、きちんとした理解がない政党とその代表者というのは、申し訳ないが高校生以下と言わざるを得ません。

ただ、一方でこれまでわが国の国民は、アメリカにその防衛を委ねて平和をむさぼってきたのであり、終戦後ドイツやその後の朝鮮半島のようにわが国が二分されなかったのもアメリカの力によるところは大きいわけで、そうであるにも関わらず、その負担の大部分を沖縄に押し付けてきたのも事実です。そして、その点に着目し、少しでも沖縄の負担を少なくするとともに、一部を他の地域で一緒に負担しよう、という考え方はそれなりに理解できるのです。

そういう目で見ると、もっと建設的な提言が出来ます。徳之島というのも一つの選択肢なのかもしれませんが、米軍側のもう少し広域的な戦略からして、あまり分散するのが望ましいとも思えませんし、ましてローテーションなどという議論が出てくると、負担の軽減だけに焦点が当たっていて、より本質的なアジアの平和維持という観点が抜け落ちてしまいます。

中国の船が我が物顔でわが国の領海近辺を犯す現実にかんがみれば、いっそうのこと沖縄周辺の(やはりアジア全体を見渡すと地理的条件はなかなかここに勝るところはないように思われます)、日本の領海内に可動性のメガフロートをつくり、日本国内のすべての米軍を移設するというのはどうでしょう?どうせ辺野古でも工事は必要だったのですから、突貫工事で出来ないのかと思います。そして、一方でアジア情勢を注視しながら、米軍の駐留の必要性が減じるのであれば、わが国自身での自衛に移行していき、その過程で例えば東京湾に移動する、ということだって考えられます。

まあ、ちょっと荒唐無稽かもしれませんが、要は現下のアジア情勢、そこにおける米軍存在の意義、米軍の実際の稼働の在り方、わが国の防衛の在り方、そして地域の負担、というような総合的な観点からしっかりと議論をすべきだと考えます。

 

 

Comment(0)