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ハーバードビジネススクールの日本スタッフとして働く中で、気づいたこと、感じたこと、考えたことを、ゆるゆるとつづります。

ケースとはお寿司のようなものだと思います。

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ケースとは何か。

 よくある誤解。それは、ケースとは事例の「研究」であり、ケースを読むことによって、ある企業なり組織なり人なりの事例から学べる、という考え方。学校によって、学問の分野によって、様々な形のケースがあり得るので、言い切ることはできないが、とりあえずハーバード・ビジネス・スクール(HBS)のケース、ということに限っていうと、「事例研究」という解釈は間違っている。

 HBSのケースとは、あくまでも「教材」であり、授業のディスカッションのための材料にすぎない。すべてのケースに共通の冒頭の注釈もこう言っている。

HBS cases are developed solely as the basis for class discussion.
(HBSのケースは授業のディスカッションで使用するためだけに作成されている。)


 ケースはこんな感じで始まる。

 「2008年のある冬の午後。○○会社の社長は、社長室の窓から暗くなる空を眺めながら、その日の朝の取締役会を思い出し、深い溜息をついた・・・」

 そして、その社長が、その時点で抱えていた意志決定に関する悩みやジレンマが描写される。例えば、長期的、社会的には意義があるとして開始したものの、何年たっても黒字化しない事業がある、とか。

 「その事業を続けるべきか、それとも撤退すべきか」
質問が投げかけられ、ケースは、その企業や市場の概要、焦点となっている事業の概要など、質問を考える際に必要だと思われる情報がつまった本文へとつながる。

 こうした社長の悩みも、会社やマーケットの状況も、ほぼ全てが実際の事例に基づいている(一部、例外あり)。ただし、もし事例「研究」であるならば、最後に実際にその社長がどういう行動を取ったのか、書いてあるはず。ところが、ケースにはその記述はない。答えは書いていない。ケースのところどころに「ちょっとだけよ」という感じで、ちらちらと見え隠れしているヒントをもとに、自分だったらどうするかを自分の頭で考え、それを授業でクラスメートと議論する。


 なぜ答えが書いていないのか。それは、ビジネスにおいて正解は一つではないから、である。その時点での自社、競合、事業環境をめぐる状況は常に複雑で変化しており、ちょっとした判断の違いで、そこから導き出す決断は異なる。さらには、いくらロジカルに考えても、結局は思いやビジョンといったエモーショナルなところで決断するとか、本当はこうしたほうがいいとわかっていても社内の現実によりどうしても無理、という場合も多々ある。また、人生と同じく企業も塞翁が馬。ある時期に正しい決断をしたところで、長期的には何が吉とでて凶とでるかなんて、わかりゃしない。

 だからこそHBSは一切教科書を使わずケースを使う。ビジネスに答えはないから。その都度ベストと思う決断をつなげていくしか道はないから。MBAの学生は2年間で500あまりのケースを読む。様々な国の様々な時代の様々な産業の様々な規模の様々な人の様々な悩みを、500回、疑似体験する。

 しかも「自分だったらどうするか」について、多種多様なバックグラウンドを持った生徒同士がそれぞれの考えをぶつけ合うことで、自分一人ではどうやっても思いつかなかったような新たな視線や考えの視座を知る。ケースが「ディスカッション」で教えられなければならない理由。これをケースメソッドという。

 (「多種多様」と書いたが、HBSのMBAは、国籍やそれまでの学歴・職歴は異なれど、ある特定のマインドセットを持ったBest & Brightestを地でいく学生がほとんどなので、全体としては均質な印象はある。大学院生らしからぬ感じで身なりもバリっとしているし。というのは、あくまで私の個人的意見。)

 ケースを使って教えるというのは、「ビジネスは現場でしか学べない」というある種の真実の前に、「それでもビジネスを学校で学ぶことの意義」、すなわち自らの存在意義を考え続け、導き出したHBSの方法論なのである。HBSは2008年創設100周年を祝った。


 HBSでは日々大量のケースが使用されている。それに合わせて、大量のケースを生産する体制も整えられている。ケースは原則として、あくまで「教材」である、ということで、先生が作成するが、それをサポートするために、ボストンに20名ほど、世界(香港、パリ、ムンバイ、東京、ブエノスアイレス、シリコンバレー)に30名ほどの私のようなケースライターがいる。さらに著作権とか校正とかもろもろの諸事務を行うスタッフも、詳しくはわからないが、20ー30名はいる。

 どうやって教えれば生徒の学びが最大化されるか、先生方はさらに莫大な時間を投資して、考え抜き、準備を怠らない。また、教室は、ケースディスカッションが最高の環境でできるように注意深く設計されている。

 これはケースメソッドというものに対する、HBSの相当なコミットメントであり投資である。でもここまでするからこそ、良質のケースが継続的に作成される。先生方のケースのファシリテーションも日々進化し、生徒も必死で授業に参加する。でないと、ケースというのは生かされないし、その本来の力を発揮しない。

 それくらい、なまでデリケートな代物なのだ。ケースとは。お寿司は、素材(それを得るための流通の仕組みも含め)、職人、寿司のために作られたカウンター、食べ方、など、すべてがそろって初めて本当においしくなるように。「ケースなんて意味がない」というのは、アメリカでにぎり寿司を食べて「寿司なんておいしくない」というようなもの、かもしれない。


 別に、ケースメソッドが唯一最高の教え方だと言っているわけでは、全くない。教育の目的によって、その組織の性質によって、それぞれにとっての最適な教授法がある。HBSに関していうと、それがケースメソッドであったというだけの話。そしてそれを本当に最適なものにするため、HBSは精神的かつ金銭的な投資を惜しまず継続してきた、ということ。

 「物事は成功するまでやれば成功します」とは、誰が言ったか忘れたが、ある事業家の言葉。HBSはケースメソッドというものに対して、それをやってきたんだと思う。


 と、なんか、わかったようなことを書いたけれど、私自身はビジネススクール出身ではなく、留学時代は本や学術論文を読んで、日々ペーパーを書く、という経験しかしたことがない。学部時代に至っては、そもそもろくに授業にすら出ていない。つまり、ケースは書くことを仕事にしているくせに、ケースの授業を学生として受けたことはないのです。おそらく授業に出たら、圧倒され、フリーズして、そのまま貝になりたくなるだろう。HBSで働くことはできても、学生になるのは無理。このあたり、ご了承いただきたく。

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