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ソニーエリクソンの挑戦(16)~1998年2月、次世代端末『Cosmo』発表

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ソニーは、1998年2月、米アトランタで開かれた"Wireless '98"というイベントで次世代端末のコンセプト・モデル『Cosm』を発表し、メディアの注目を集めました。これに関する記事が、サンディエゴのコミュニティ誌『サンディエゴ・メトロポリタン・マガジン』1998年4月に掲載されました。以下は、その抄訳です。

"Sony's Mastery"
http://www.sandiegometro.com/1998/apr/coverstory.html

もしサンディエゴが、「ソニー・ウエスト」の心臓ならば、佐藤裕は、その目と言えよう。その目は、まもなく到来するデジタル・レボリューションの地平線を、レーザーのように鋭く見据えている。佐藤はソニーを体現している。両者はともに若い。佐藤49歳、ソニー52歳。両者は欠点が無く、未来に向かって一直線に突き進んでいる。日本のエレクトロニクスの巨人を、来るべきデジタル・ワイヤレス・ワールドに導く役割を担った者として、佐藤からは、静かな自信がにじみ出ている。それは、サンディエゴにいる、多くのソニーの「ベスト・アンド・ブライテスト」達には、珍しいものではなかった。

ソニーとサンディエゴの関係は、最近の技術的進歩のあらゆる側面で見て取れるが、通信ほど、このつながりが明らかな分野はほかにはない。ソニーは、テレコム業界のゴリラ、クァルコムと提携し、1994年にジョイント・ベンチャーを設立した。そして、ソニーは、佐藤を、ソニー・エレクトロニクスの新しいワイヤレス・テレコミュニケーション・カンパニーの社長として、派遣した。

 「サンディエゴは、新しい通信技術の先端をいっている。我々が、ここにいるのは、とても意味のあることだ」と、技術革新とマーケット・ニーズを知りつくしている佐藤は語る。1986年、ソニー製品の聖杯ともいえるウォークマンで、アメリカの消費者の心をつかんだことにより、佐藤は、ソニーの社内表彰を受けている。それは、米国におけるウォークマンの累計販売台数が、1000万台に達した年であった。

次世代のウォークマン?

ソニーの誰もが公には口にしないが、佐藤とエンジニアたちは、次世代のウォークマンを考えているようだ。それは、"Cosm"と呼ばれる、TV番組『スター・トレック』から飛び出してきたような、パーム・サイズの通信機器であった。すでに、それはワイヤレス業界を騒がせていた。

London_1182月に開かれた"Wireless '98"でコンセプト・フォンとして公開された、メイド・イン・サンディエゴのCosmは、大人でさえ、クリスマスの朝の子供のように喜ばせるものだった。ワシントン・ポスト紙は、Cosmを、「そのショーにおける、スターだった」と表現した。しかし、同紙は、それをどのようにカテゴライズするか困り、「ポケット・フォン/ウェブ・ブラウザー/カメラ/パームトップ・オーガナイザー」と表現した。ワイヤレス・ウィーク誌は、「Cosmが通信業界をゆさぶった」と記した。

佐藤自身は、Cosmに満足していたが、依然として、それは開発段階であり、その機能を活かすための高速ワイヤレス通信網は、まだ確立されていなかった。実際のところ、展示されたプロトタイプは、実働モデルでは無かった。実働モデルの開発は、キャンパスと呼ばれる、サンディエゴのソニー・テクノロジー・センターで進められていた。

ソニーは、携帯電話キャリアのスプリントと提携し、この夏にもCosmの技術試験を行う予定だ。佐藤は、Cosmの試験の成功により、第三世代の通信技術の普及に加速がかかることを期待していた。Cosmは、1999年に発売される予定で、生産はサンディエゴで行われることになっていた。

クァルコムは、消費者向けエレクトロニクスでは新参者だったが、ソニーの技術革新力とマーケティング力の恩恵を得ていた。ソニーは、1996年に、外国企業として初めて、アメリカ人に、もっとも好まれるブランドに選ばれていた。

サンディエゴのトップ・ツーが、クァルコム・パーソナル・エレクトロニクス(QPE)を1994年に設立した時、この結婚は、この上なくハッピーなものだった。アメリカには6000万人の携帯電話ユーザーがおり、その数は、2000年に1億人に達すると予測されていた。携帯電話キャリアにアピールするには、生産台数の増加がカギを握っていた。

「この市場はとても競争が激しい」と佐藤は説明する。「だから、共同生産によって、大量生産ができるようになるのは、非常に良いことだ」。QPEから出荷される携帯電話は、月産40万台という目もくらむような台数だが、これにより、「競争的な価格をつけられるようになる」と佐藤は、つけ加えた。

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