書かずに考える
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「大事なのは、どれだけ考え抜けるかです。考えをはっきりさせようと紙に書く人もいますが、それは必ずしも必要ではありません。とくに、袋小路に入り込んでしまったり、未解決の問題にぶつかったりしたときには、定石になったような考え方は何の役にも立たないのです。新しいアイディアにたどりつくためには、長時間とてつもない集中力で問題に向わなければならない。その問題以外のことを考えてはいけない。ただそれだけを考えるのです。それから集中を解く。すると、ふっとリラックスした瞬間が訪れます。そのとき潜在意識が働いて、新しい洞察が得られるのです」
サイモン・シン 『フェルマーの最終定理』 (新潮社、2000年)
フェルマーの最終定理を解いた、アンドリュー・ワイルズの言葉です。
書くことすら必須ではない。ただそれだけを考える。なんというド迫力。何分くらい「それだけを考える」ことができるものかを今度、といわず今日、挑戦してみよう。
と言いつつ、上記の部分を読んで感じたことをだらだらとメモしておきたく思います。あとで戻ってきたいので。
- 書くことは、考え抜くプロセスの中で必須のステップではない……。アイディアのかけらを並べたり、考えた結果を書き留めたりするために書くことはあっても、書きながら考えることはなかったのか?
- 言葉はあまりに情報が限定的なので、言葉にするだけで失われる何かがあるということなのか?あるいは、書くスピードが遅すぎて役に立たない?
- たしかに、書きながらハッとすることよりも、書いてない時間にハッとして、慌ててメモすることのほうが多い。
- とはいえ、書きながらハッとすることだってある。
- 何もかも頭に放り込んで煮詰めていくことが必要とすると、やはり(短期的にも長期的にも)記憶力が良いに越したことはない?
- 集中力こそが重要。「ただそれだけを考える」ことが自分にできるか?
- 集中している時間は純然たる投資。リターン(洞察)はリラックスタイムに訪れる。
- 「集中を解く」という表現が気になる。集中が切れるまで考え抜くのではなく、ある程度考え詰めたら、意図的にリラックスさせるということ?
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