犬はなぜ棒に当たったのか
犬も歩けば棒に当たる、という子どもでも知っている言葉をもう少し深読みしてみよう。そもそも、犬はなぜ歩いているのか。何を目指して歩いているのか。そこまで問うてみよう。夢を抱く人間なら、ましてや、結果においてリーダーになるような人の場合には、ただ歩いているのではないだろう。意志力と夢をもって歩いている。
(引用者注:ここでの「犬も歩けば…」は、「時には出歩くと思わぬ幸運に巡り合うことがある(Wikipedia)」のほうの意味)
― ジョセフ・ジャウォースキー 『シンクロニシティ 未来をつくるリーダーシップ』 英治出版 2007年
ハッとしました。そこまで深読みしたことはなかったなあ。
「深読み」という言葉で、『九マイルは遠すぎる』という大好きな短編小説を思い出しました。
小説の中心となるのは、以下の一文です。
「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、ましてや雨の中となるとなおさらだ」
なぜ九マイルもの道を歩いたのか?しかも雨の中を?
細かく書くとネタバレになるのでよしますが、主人公は推論を重ね、
相棒が「たまたま思いついた」この言葉から思いがけない解釈を引き出します。
ただ偶然を待つのではなく、積極的に拾いにいこう。
ここまでは、よく言われることですね。
漠然と歩くだけではなく
『なぜ歩いているのか。何を目指して歩いているのか』
を問い、いつどこに行けば偶然が拾えるかを推論しながら歩こう。
そう心がけたいと思った本でした(『シンクロニシティ』のほうですよ)。
犬の話の部分は、監修の金井壽宏先生が書かれた解説から引いています。
その直前の部分もいい文章なので、ちょっと長いですが、紹介します。
著者ジョセフ・ジャウォースキーの身に起きた数々の幸運な偶然について述べている部分。
しかし、ここが強調したい点なのだが、すべての大事な局面で、ジャウォースキーみずからの意図、意思、行為があったことだ。フットワークも非常によく、他者に助けてもらいながらも、自分から面会の約束を取り付け、すぐに相手先に飛んでいった、そういう行動力がある。偶然が助けてくれるのをただ指をくわえて待っていたわけではない。ジャウォースキーは、ユングが使ったままの言葉、シンクロニシティと言ってはいるが、ここでのニュアンスは、これも先に触れたとおり、<行き当たりバッタリ>ではなく、<行き当たりバッチリ>という姿勢にはるかに近い。
― 同上