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エンタープライズコラボレーションの今と今後を鋭く分析

新規事業開発や風土改革を担当するチームが感染に注意すべき3つ(4つ)の病

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 ひとつ前のエントリーで、イノベーティブな試みを担当したチームがよく直面する嫌な中間管理職が振りかざしがちな論理として「唯一絶対解の存在信仰」とか「解決策の論理的完璧性追求症候群」がある、なんてことを書いたところこれらについてちゃんと説明しろというお叱りを(隣席から)受けた。

 正直に白状するとこの2つの信仰とか症候群ってとっさに自分で考えてつけたネーミングなのだ。でもせっかくだしちゃんと書いてまとめてみることにトライする。

まずは、それぞれの解説から。
 「後出しジャンケンプラクティス」
 今泉さんの例示によるとこれは、完成形をイメージせずに都度提示されたモノに対して思いつきレベルでコメントを発したり、他にはlizy氏のブクマでの指摘にあったように「意見を求められた側は、何らかの意見を言わないと仕事をしてないことになるため、必ず難癖をつける」というアリバイ作りのためのコメントの繰り返しによって革新的なアイデアが丸くなると言う病状を言う。
 
「唯一絶対解の存在信仰」
 自分達が手がけている研究や開発には、必ず正しい答えがあってそれは唯一のものであって、さらには時間と努力を費やせば必ずその答えが見つかるという信仰である。
 この信仰に捉われるとチームは一時的に高揚状態になり、皆が頭の中に作り上げた偶像に向かって突っ走ることになる。ここまでは良い。ところが人が頭の中にゴールとして作り上げる理想像には当然個人差があって一人の人の理想像は他の人の理想像ではなかったりする。
 で、駄目な中間管理職がこの信仰に取り付かれると、皆の理想像を持ち寄って擦り合せて本当の答えを見つけよう!なんてことになる。プロジェクトは延々と皆の意見の単なる交換を行う場となり、誰も手を動かさないの何も出来上がらず、いつしかチームは解散となる。疲弊感だけを残して。

「解決策の論理的完璧性追求症候群」
 初期の段階でチームの中から出てきた解決策や案に対して、論理面から欠点や足りない部分を指摘し検討を行う作業は重要なものだ。アイデアをブラッシュアップしたり実現できっこない空想を振り落とす為に論理的な検証を行うことは効果がある。
 ただしかしこの時に、論理的に考えるという行為自体に快感や達成感を得るようになってしまうと危険。上記の「唯一絶対解の存在信仰」で書いたように完璧な解決案なんてものは普通存在しないので、何がしかのケチをつけることはかなり簡単だ。さらに欠点の指摘という相対的に楽な行為で功名を上げることができることがメンバーに認識されると、皆新しいことや良いことを考えることを辞め、人が見つけられなかったような細部の欠点をさがすことに没頭するようになる。そうそれはさながら架空の世界でのイメージを戦わせる空想戦のように。
 イノベーションを起こすモノがまったく欠点をもっていない事なんてほとんど無い。そもそもイノベーションだって現在がまずあってそれを変えてこそのものであるはずだ。アイデアや施策を評価するときは現在の現実に対して行うべきで架空の世界での理想論を戦わせても得るものは少ない。

#後づけで書いていたら、もう一つ病状を思いついたので追加
「ポジション音痴」
 大企業などで新しい事業や風土改革についてアイデアを検討していると時々こういう発言が出る。「我々のような進んだ企業はそういうのは出来ていて当然」「我々のマーケットとする相手はレベルが高く既にそういった試みはやっている」「それは一流の企業たる我々の手がけるべき領域なのか」といった意見だ。そうした発言が客観的データなどを根拠とした本当に正しい自己認識から出ているのであれば問題はない。しかし、往々にしてこういうのは、自社のあるべき姿をベースとした建前の自社イメージをベースにして発言される。
 もうこれ以上解説したくないので打ち切るが、ようは「勘違いくん(さん)」なのだ。
 ちなみにこのポジション音痴は逆のケースもある。自分たちを卑下しすぎで「こんな我々が思いつくようなアイデアなら誰かが過去にやっただろう」「これは壮大すぎて我々の手に負えない」なんてやつだ。

 さて、こういったイノベーティブな試みを管理する立場になったときの良いマネジメント手法だが、個人的には適切な「制約」を設定することだと思う。昨日書いたように時間の制約を設けて次のステップへ進める方法もひとつ。他にも私が聞いた話では、初期の一瞬の爆発の間に生じた結果から何がしかの小さな具体的成果を見つけてそれにわかりやすい説明を加えてメンバーに達成感を与えるとともにその後の段階での皆のゴールのベクトルをその成果の延長にあわせさせるという手法がある。
 もちろんこういった場合に設定する「制約」が的を外していたらどうしようも無いわけで、結局はその人のセンスが問われるのだろうけど・・・

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