【ブックトーク】家族にとっての“物語”/『家族を楽にする魔法の言葉』
今年の1月で、結婚10年目を迎えました。息子にも恵まれて、いろいろと楽しい日々を積み重ねられていると思います、喧嘩もしょっちゅうしていますが、、(汗
そんな中、ふと思い至ったのが“時間をとって話す機会が少なくなっているなぁ”との点。我が家は共働きで、家内も週末仕事が入ることも多いせいもあるかと思いますが、最近“家族の会話”ができているだろうか、なんて感じるのは、こちらを手にとったから。
『家族を楽にする魔法の言葉』(宮尾益知/飛鳥新社)
“家族”を円滑に運営していくための50の言葉と、それにまつわるエッセイでの構成となっています。頭から一つ一つ読んでもいいですし、気が向いた時にパラパラとめくってみるのも、楽しそうです。ちなみに「本が好き!」様より献本でいただいた一冊となります。
“男性にとって、会話とは主に「目的を果たすための手段」で、
女性にとっては手段ではなく、「会話という関係性」そのものが目的”
妙に納得してしまったのは、こちらのフレーズ。男性にとっての会話は「結果を出すのが目的」で、女性のとっての会話は「会話そのものが目的」と。この違いは、なるほどなと、自省も込めて。確かに、自分にとって“会話”とは、何かしらの結論を出すためのモノとの意識が強いです。
特に社会人になってからはこの傾向が強く、結論さえ出せれば、会話自体は結構おざなりに流してしまうことも多いな、と。この点を意識するかどうかで、家内や息子との話し方を変わりそうです。ようは、もっと話すことも楽しもうよ、、といった感じでしょうか。
“家族において重要なのは、「モデル」じゃなくて「機能」”
一昔前であれば、父親が働きに出て、母親は専業主婦。子どもは二人くらい、40才過ぎで一戸建てを購入し、60才で定年したら悠々自適というのが「理想的な人生モデル」だったと思います。今の50代くらいまでであればまだそれで通じるのかもしれませんが、自分達アラフォー世代はそれだけを唯一の理想形として追いかけても、到底やっていけないのは、なんとなく肌感として持っています。
“「うまく機能している家族」というのは、「変化可能な家族」である”
そんな中家族が家族としてあり続けるためには、時代にあわせて変わっていくことも必要とされているのかなと、そう思います。ただ、変化していく中でも“こんな家族でありたい”とのプリンシプル(軸)は変わらないものとして持っておかないと、とも同時に。
“現在の日本社会は、基準となる共通の価値観を持つことが難しく”
いつも笑顔で、人にやさしく、毎年家族旅行、本に囲まれて、倒れる時は前のめり、などなど、家族ごとに“大事にしているもの(大きな物語/文化)”は様々あると思います。それらを実現していくための手段は、その時々でも、家族の構成員単位でも、都度都度変わるかもしれませんが、大事にしているもの自体を見失わないこともまた、肝要かなと。
そして“家族にとっての大きな物語”を醸成していくには、会話などで目に見えるコミュニケーションを積み重ねていくしかないのかな、と感じます。ふと“家族史”なんて形で、記録を残してみるのも面白いのかも、そんな風に感じた一冊でした。
【あわせて読んでみたい、かもな一冊。】
『ハーバード白熱日本史教室』(北川智子/新潮新書)
『子どもの教養の育て方』(佐藤優&井戸まさえ/東洋経済新報社)
『三匹のおっさん』(有川浩/文春文庫)
『草子ブックガイド』(玉川重機/講談社)
『頭のよい子が育つ本棚』(四十万靖/学習研究社)
【補足】
なお、こちらのフレーズも目からウロコでした。
“(「わかる」という言葉には)
「あなたの考えていることくらい全部わかっているよ」という
上から目線のニュアンスが含まれている場合がある”
どちらかというと、子ども向けの警句なのかもしれませんが、「子どもと同じ視線」でモノを考えるのが大事ですよと。そして、、
“(子どもと遊ぶということは)親が子どもの世界に入りこみ、
「子どもの世界をちょっと広げてあげる」こと”
その上で、大人の経験をアドバイスしてあげればよく、子どもが自分の意図しない選択をしても否定はせず、あくまで主役は子どもだとしてあげる必要があると。当たり前ですが、つい忘れがちになってしまいます。