課題と阻害要因と解決策
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こんにちは。たまにエネルギーや安全保障問題についての駄文を書きますが、本職は文書作成能力向上トレーナーの開米です。
さて、それでは「理想-現状」を「ギャップ」と認識(→前回)した後の話を続けましょう。
ここでまた野球の例を挙げます。A選手は打率が2割程度に低迷中で、これをなんとか3割に上げたいと考えているとします。理想=3割、現状=2割、つまりギャップが1割分あります。
そこでそのギャップを埋めるためには何が必要なんだろう? と彼は考えました。思い当たったのは「ボール玉に手を出してしまうこと」と「飛距離が出ないこと」です。というわけでこの2つを「(ギャップに直結する)課題」と呼ぶことにします。(「課題」はまぎらわしいから使うな、と書いた直後に課題という用語を使うのも苦しいものがありますが(^^ゞ、手頃な用語が他に無いんですよね・・・)
さて、ではなぜ今まではそれができていなかったのでしょうか。ギャップに直結する課題の実現を阻害する要因がなにかあるはずです。例えば「選球眼が悪い」、「筋力が弱い」といったものがその「阻害要因」として考えられます。
阻害要因がわかれば、それを解決する方法を考えることができます。選球眼が悪いならたとえば「眼」のトレーニングをすることができるし、筋力が弱いのは筋トレをすればいい話です。
というわけで、理想と現状のギャップから「課題」→「阻害要因」→「解決策」へとつながる問題解決のための方策を検討できるわけですね。
と、こうしてみるときれいに構造化できるように見えなくもないですが、現実には「課題」と「解決策」は結構まぎらわしいもので、たとえば選手とコーチがこんな会話をしていてもそれほど違和感はありません。
よく考えると何か違うような気はしますが、でも何を言いたいかはわかってしまうので普通は細かいツッコミはしないところでしょう。
しかしこういう「課題と解決策の混同」は本当は良くないのです。
ここで上げた「課題」と「解決策」にはこんな違いがあります。
「課題」は人が直接コントロールできません。たとえば、監督が選手に対して「何回言えば分かるんだ! ボール球に手出すんじゃないよ!」といくら怒っても、選手がその怒りを真剣に受け止めて「今度こそやらないようにしよう、気をつけよう」とどんなに思ったとしても、もし「選球眼が悪い」のが原因なら、「気をつける」だけでは何の役にも立たないわけです。だって、「ストライクだと思って」振ってしまうわけですから、そこに「ボール球に手を出すな」といくら言っても無駄ですよね。「課題」は人の意志では実現できないわけです。
それに対して、「解決策」は人が直接コントロール出来ます。たとえば、「スポーツビジョントレーニング」にしても「筋トレ」にしても、「今週は週に3回、30分ずつやろう」といった形で目標を立てることができ、それを実行して、実行したかどうかを記録し管理できるわけです。
そんなわけで、「問題を解決しよう」という場合は、「実行可能な解決策」に落とし込んでその実行を管理する必要があります。「ボール球を振るな!」といくらうるさく言っても無駄なんです。それは「人の意志で実行可能な解決策」ではありませんので。
と同時に、「解決策」については、それが「どんな課題を実現するための解決策なのか」を常に意識しておく必要があります。そうしないと、「そもそも実現しなくてもいい課題のための解決策を一生懸命実行している」という場合がありうるからです。冗談抜きに、上意下達的というか「先輩の命令には絶対服従」的な組織ではそういう無駄が起こりがちです。
ちなみに、「ギャップに直結する課題」というのは、実現方法がすぐには見つからなかったり、実現方法が複数あってどれが最適なのかがわからなかったりするものが多いですね。
また、「解決策」に挙がってくるものは、「ギャップに直結」しないのが普通です。
たとえば、「スポーツビジョントレーニングをする」→「打率が上がる」というのは、論理的に直結しません。これがつながるためには、「選球眼が悪いのが打率が低い原因で、それを解決するためにビジョントレーニング」という理屈が必要です。
(ギャップに直結する)「課題」と、「解決策」の違い、なんとなくわかっていただけましたか?
普段はこれを区別して意識していない人が多いので、なかなかわかりにくいのですよ・・・
・・・・・・(まだ続きます)
さて、それでは「理想-現状」を「ギャップ」と認識(→前回)した後の話を続けましょう。
ここでまた野球の例を挙げます。A選手は打率が2割程度に低迷中で、これをなんとか3割に上げたいと考えているとします。理想=3割、現状=2割、つまりギャップが1割分あります。
そこでそのギャップを埋めるためには何が必要なんだろう? と彼は考えました。思い当たったのは「ボール玉に手を出してしまうこと」と「飛距離が出ないこと」です。というわけでこの2つを「(ギャップに直結する)課題」と呼ぶことにします。(「課題」はまぎらわしいから使うな、と書いた直後に課題という用語を使うのも苦しいものがありますが(^^ゞ、手頃な用語が他に無いんですよね・・・)
打率を1割上げるための「課題」
- ボール玉に手を出さないこと
- 飛距離を伸ばすこと
さて、ではなぜ今まではそれができていなかったのでしょうか。ギャップに直結する課題の実現を阻害する要因がなにかあるはずです。例えば「選球眼が悪い」、「筋力が弱い」といったものがその「阻害要因」として考えられます。
阻害要因がわかれば、それを解決する方法を考えることができます。選球眼が悪いならたとえば「眼」のトレーニングをすることができるし、筋力が弱いのは筋トレをすればいい話です。
というわけで、理想と現状のギャップから「課題」→「阻害要因」→「解決策」へとつながる問題解決のための方策を検討できるわけですね。
と、こうしてみるときれいに構造化できるように見えなくもないですが、現実には「課題」と「解決策」は結構まぎらわしいもので、たとえば選手とコーチがこんな会話をしていてもそれほど違和感はありません。
監督 :お前の今の課題は何だ?
選手 :筋トレをすることです
よく考えると何か違うような気はしますが、でも何を言いたいかはわかってしまうので普通は細かいツッコミはしないところでしょう。
しかしこういう「課題と解決策の混同」は本当は良くないのです。
ここで上げた「課題」と「解決策」にはこんな違いがあります。
「課題」は人が直接コントロールできません。たとえば、監督が選手に対して「何回言えば分かるんだ! ボール球に手出すんじゃないよ!」といくら怒っても、選手がその怒りを真剣に受け止めて「今度こそやらないようにしよう、気をつけよう」とどんなに思ったとしても、もし「選球眼が悪い」のが原因なら、「気をつける」だけでは何の役にも立たないわけです。だって、「ストライクだと思って」振ってしまうわけですから、そこに「ボール球に手を出すな」といくら言っても無駄ですよね。「課題」は人の意志では実現できないわけです。
それに対して、「解決策」は人が直接コントロール出来ます。たとえば、「スポーツビジョントレーニング」にしても「筋トレ」にしても、「今週は週に3回、30分ずつやろう」といった形で目標を立てることができ、それを実行して、実行したかどうかを記録し管理できるわけです。
そんなわけで、「問題を解決しよう」という場合は、「実行可能な解決策」に落とし込んでその実行を管理する必要があります。「ボール球を振るな!」といくらうるさく言っても無駄なんです。それは「人の意志で実行可能な解決策」ではありませんので。
と同時に、「解決策」については、それが「どんな課題を実現するための解決策なのか」を常に意識しておく必要があります。そうしないと、「そもそも実現しなくてもいい課題のための解決策を一生懸命実行している」という場合がありうるからです。冗談抜きに、上意下達的というか「先輩の命令には絶対服従」的な組織ではそういう無駄が起こりがちです。
ちなみに、「ギャップに直結する課題」というのは、実現方法がすぐには見つからなかったり、実現方法が複数あってどれが最適なのかがわからなかったりするものが多いですね。
また、「解決策」に挙がってくるものは、「ギャップに直結」しないのが普通です。
たとえば、「スポーツビジョントレーニングをする」→「打率が上がる」というのは、論理的に直結しません。これがつながるためには、「選球眼が悪いのが打率が低い原因で、それを解決するためにビジョントレーニング」という理屈が必要です。
(ギャップに直結する)「課題」と、「解決策」の違い、なんとなくわかっていただけましたか?
普段はこれを区別して意識していない人が多いので、なかなかわかりにくいのですよ・・・
・・・・・・(まだ続きます)
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