原子力論考(61)「危険煽り」の嘘がばれそうになると何が起こるか(コミュニティ・シリーズ5)
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原子力論考のコミュニティ・シリーズその5です。
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前回書いたように、「軍事・金・環境・差別」の中で、もっとも「大衆扇動」に適した観点は、明らかに「環境」です。
「環境」つまり健康に関わる問題となると、一気に関心を持つ人が増えます。
そのため、「政府・軍・大企業」を叩くことで「正義の伝道師」になった気分を味わいたい人々は、「放射能は人体にきわめて有害なもので人類とは共存できない」と主張する必要に迫られました。
反原発活動家の「放射能はきわめて危険だ」という危険煽りの主張の代表的なものを挙げると下記のようになります。実際に詳しく調べてみると「証拠」がそもそもないものが多く、あるように見えても「量」の評価をすっ飛ばして「1日に塩を1kg食べると人間は死ぬ! 塩は危険な毒物だ! 1gたりとも食べてはいけない!」と言っているに等しい主張だったりします。
実は私も最近知って驚いたのですが、ある知人は福島第一原発事故が起きたとき、「福島県だけでなく関東地方まで、放射線障害の患者が続出する」と信じていたそうです。
そりゃあ、そう思っていたら「原発はあまりにも危険だ、脱原発すべきだ」と考えても無理はないです。
しかし、その「放射能の有害性、危険性」を語る主張のほとんどには根拠がありません。
根拠がないのになぜそれを信じてしまう人が大勢いるのか?
これはまともな報道をしない報道機関と、まともな説明をしない政府関係機関および電力会社の責任です。
根本的には「政府叩きをしたいがために危険煽りを出来る材料を求めて原子力発電をその道具として使ってきた反原発運動家」の責任なのですが、彼らを放置してきた行政のツケが回ってきたことでもあります。
要するに、「反原発活動家」は事故前も存在したんですが、一般市民の大半は無関心ですから、行政側としては「過剰な安全対策と補助金を出しておけば」なんとかなったんですね。(まあ、実際の建設交渉は「補助金を出しておけば大丈夫」のような生やさしいものではありませんが、・・・)
実際のところ、「反原発活動家」にしても「政府機関・電力会社」にしても「報道機関」も含めて同類で、「一般市民の無知」と「過酷事故が起こらない」ことに依存した、事実上の「なれあい関係」だったのだろうと私は感じています。
報道機関にとっては、時たま起こる小規模な事故がオイシイ報道ネタになるだけで、やはりこの「なれあい関係」の一角を形成していました。
まあ、当事者、特に「活動家」のほうは「なれあい関係」とは認めないでしょうが、実態としてはそんなものです。
しかし、これが成り立つのは「過酷事故が起こらない間」だけです。起こらないからこそ、「メルトダウンしたら破滅的な事態になる」という活動家の恐怖煽りが真に迫って聞こえます。でもそれに関心を持つ市民はごく少なく、だからこそまともに相手をせずともエネルギー政策に支障はありませんでした。
ところが、実際にメルトダウンが起こってしまいました。
実際に原子力発電所の過酷事故が起こったことで、発生直後には反原発活動家は千載一遇のチャンスとばかりにその活動を活発化させました。それに乗って放射能の恐怖煽りをする報道機関が続出し、一般市民はそれを受けて半パニック状態になり、政府機関は慌てて規制強化や除染事業に走りました。
しかし、時間が経つにしたがって実態が見えてきます。福島第一原発事故では放射能による死傷者は一般市民には一人も出ていませんしこれからも出ないでしょう。
そういう実態が見えてきて、市民が落ち着きを取り戻すにつれて、反原発活動家の「メルトダウンで日本壊滅」的な「恐怖煽り」は嘘だったことが明らかになります。
そうなると、「活動家」達の行動はおおまかに2グループに分かれます。
焦ってさらに主張を先鋭化させるグループと、空気を読んで撤退を始めるグループです。
という感じの主張をするようになります。そしてこの2グループは互いに相手の存在が都合が悪くなるため、内ゲバを始めるようになります。ざっくばらんに言うと、「先鋭化」組が「撤退」組を批判するようになるわけです。
なお、「危険煽りの嘘」と私は書きましたが、当人達は「嘘」とは思っていないはずです。この問題が厄介なのは、「活動家」の多くが「放射能の危険」を真実だと信じ込んでいることで、当人達はほとんどの場合完全に善意でやってるんですね。だからこそ事態を深刻化させるのですが。
一方、政府は慌ててやってしまった「規制強化」の悪影響に苦しむようになります。一度選択してしまった政策の方向転換をするのは難しいもので、私たちはその副作用にまだ何年も苦しまされることになるでしょう。
何度も書きますが、このような事態をもたらした根本原因は「市民の無知」と「無事故」に依存するなれあい関係です。
「市民の無知」に依存する限り、同じような事態は何度でも起きるでしょう。
いいかげんに我々は「無知に安住する市民」であることから脱却しなければなりません。
そのために重要なキーになるのが20世紀までとは違う「コミュニティ」です。
(続く)
■開米の原子力論考一覧ページを用意しました。
→原子力論考 一覧ページ
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前回書いたように、「軍事・金・環境・差別」の中で、もっとも「大衆扇動」に適した観点は、明らかに「環境」です。
「環境」つまり健康に関わる問題となると、一気に関心を持つ人が増えます。
そのため、「政府・軍・大企業」を叩くことで「正義の伝道師」になった気分を味わいたい人々は、「放射能は人体にきわめて有害なもので人類とは共存できない」と主張する必要に迫られました。
反原発活動家の「放射能はきわめて危険だ」という危険煽りの主張の代表的なものを挙げると下記のようになります。実際に詳しく調べてみると「証拠」がそもそもないものが多く、あるように見えても「量」の評価をすっ飛ばして「1日に塩を1kg食べると人間は死ぬ! 塩は危険な毒物だ! 1gたりとも食べてはいけない!」と言っているに等しい主張だったりします。
実は私も最近知って驚いたのですが、ある知人は福島第一原発事故が起きたとき、「福島県だけでなく関東地方まで、放射線障害の患者が続出する」と信じていたそうです。
そりゃあ、そう思っていたら「原発はあまりにも危険だ、脱原発すべきだ」と考えても無理はないです。
しかし、その「放射能の有害性、危険性」を語る主張のほとんどには根拠がありません。
根拠がないのになぜそれを信じてしまう人が大勢いるのか?
これはまともな報道をしない報道機関と、まともな説明をしない政府関係機関および電力会社の責任です。
根本的には「政府叩きをしたいがために危険煽りを出来る材料を求めて原子力発電をその道具として使ってきた反原発運動家」の責任なのですが、彼らを放置してきた行政のツケが回ってきたことでもあります。
要するに、「反原発活動家」は事故前も存在したんですが、一般市民の大半は無関心ですから、行政側としては「過剰な安全対策と補助金を出しておけば」なんとかなったんですね。(まあ、実際の建設交渉は「補助金を出しておけば大丈夫」のような生やさしいものではありませんが、・・・)
実際のところ、「反原発活動家」にしても「政府機関・電力会社」にしても「報道機関」も含めて同類で、「一般市民の無知」と「過酷事故が起こらない」ことに依存した、事実上の「なれあい関係」だったのだろうと私は感じています。
報道機関にとっては、時たま起こる小規模な事故がオイシイ報道ネタになるだけで、やはりこの「なれあい関係」の一角を形成していました。
まあ、当事者、特に「活動家」のほうは「なれあい関係」とは認めないでしょうが、実態としてはそんなものです。
しかし、これが成り立つのは「過酷事故が起こらない間」だけです。起こらないからこそ、「メルトダウンしたら破滅的な事態になる」という活動家の恐怖煽りが真に迫って聞こえます。でもそれに関心を持つ市民はごく少なく、だからこそまともに相手をせずともエネルギー政策に支障はありませんでした。
ところが、実際にメルトダウンが起こってしまいました。
実際に原子力発電所の過酷事故が起こったことで、発生直後には反原発活動家は千載一遇のチャンスとばかりにその活動を活発化させました。それに乗って放射能の恐怖煽りをする報道機関が続出し、一般市民はそれを受けて半パニック状態になり、政府機関は慌てて規制強化や除染事業に走りました。
しかし、時間が経つにしたがって実態が見えてきます。福島第一原発事故では放射能による死傷者は一般市民には一人も出ていませんしこれからも出ないでしょう。
そういう実態が見えてきて、市民が落ち着きを取り戻すにつれて、反原発活動家の「メルトダウンで日本壊滅」的な「恐怖煽り」は嘘だったことが明らかになります。
そうなると、「活動家」達の行動はおおまかに2グループに分かれます。
焦ってさらに主張を先鋭化させるグループと、空気を読んで撤退を始めるグループです。
「先鋭化」組は:放射能障害は既に出ている! そしてこれからが本番だ!
「撤退」組は:当初心配したほどの大きな被害が出なくてよかったね。でも東電と政府は悪い奴だから追及はやめないよ
という感じの主張をするようになります。そしてこの2グループは互いに相手の存在が都合が悪くなるため、内ゲバを始めるようになります。ざっくばらんに言うと、「先鋭化」組が「撤退」組を批判するようになるわけです。
なお、「危険煽りの嘘」と私は書きましたが、当人達は「嘘」とは思っていないはずです。この問題が厄介なのは、「活動家」の多くが「放射能の危険」を真実だと信じ込んでいることで、当人達はほとんどの場合完全に善意でやってるんですね。だからこそ事態を深刻化させるのですが。
一方、政府は慌ててやってしまった「規制強化」の悪影響に苦しむようになります。一度選択してしまった政策の方向転換をするのは難しいもので、私たちはその副作用にまだ何年も苦しまされることになるでしょう。
何度も書きますが、このような事態をもたらした根本原因は「市民の無知」と「無事故」に依存するなれあい関係です。
「市民の無知」に依存する限り、同じような事態は何度でも起きるでしょう。
いいかげんに我々は「無知に安住する市民」であることから脱却しなければなりません。
そのために重要なキーになるのが20世紀までとは違う「コミュニティ」です。
(続く)
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